中国人のこころ
2020年2月19日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
少し前に、「中国を誤解する日本人」という記事にて、多くの日本人が、中国そして中国人の力を過小に評価しがちだと指摘をしました。
その記事の中でも明らかにした通り、私は日本人の中では中国の国家としての力を比較的正当に評価している方だと自負しています。
ただ、最近は中国の企業とのやり取りをする機会も増えてきまして、その際に彼我の考え方の違いに戸惑うことが少なくないことも事実です。
そんな経験も手伝って、一冊の本を読むことにしました。
中国人の考え方を「言語」の側面から分析する東京大学の小野秀樹教授の著書「中国人のこころ」です。
本書の問題意識を最も的確に表す会話を以下に引用します。
コンビニの店長:「王くん、今週の金曜日もシフトに入っているよね?」
王くん:「(ボソッと)うん」
コンビニの店長:「、、、(なんか不満があるのかな?)え~と、その日はね、特別発注のお彼岸のおはぎが入って来るんだけど」
王くん:「(上げ気味で)あ~?」
コンビニの店長:「え?ま、いいよそれは、、、」
この会話について解説すると、店長と王くんとは年齢も仕事上の立場もずっと店長の方が上であるため、王くんの最初の返事としては、少なくとも「はい」や「ええ」とすべきところです。
そして、次の返事の「(上げ気味で)あ~?」に至っては、日本人の感覚からすれば店長に対する「不満」を表明しているというか、場合によっては喧嘩を売っているようにも捉えられる返答でしょう。
もし、そうではなく、ただ店長の質問の意味が理解できないだけであったら、「え?どういうことでしょうか?」とすべきです。
結果的に、店長がそれ以上、会話による指示を出すことを諦めてしまいました。
そのため、今後この店長は、中国人のアルバイトに対して悪い印象を持ってしまって、「中国人=生意気」というイメージを固定化させてしまってもおかしくありません。
ですが、実際には王くんにはそんな意図は全くなく、第一回目では「はい」や「ええ」、二回目では「え?どういうことでしょうか?」という日本人の反応に相当させるつもりで、「うん」や「あ~?」と返答しているとしたら、このやり取りの小さなすれ違いは、日本人の中国人に対するイメージに不必要な悪影響を与えていることになります。
上記の店長と王くんの会話について本書では以下のような説明をされています。
「上であげたコンビニでの王くんの返答は店長の発話を受けて半ば反射神経の作用によるものであり、実際、王くんは決して無礼な人物ではなく、中国語の世界では全く自然なものである。まず一つ目の返答について説明すると、中国語には、『嗯(ng)』という語があり、発音は少し鼻に抜ける感じで『ん』という。これが、下降調で発音すると肯定や応諾を表し、中国語では目上の相手に使っても何ら問題がない。次に、『あ~?』について説明すると、中国語では聞き返す時に『啊(a)』という語がしばしば用いられる。これは日本語での『あ?』という聞き返しの語が敵愾心を含むのとは異なり、中国語ではごく通常の聞き返しとして用いられる。」
私たちは、外国語を学ぶとき、二つの言語間において常に語彙が一対一の対象関係があると信じがちですが、似たような意味を持つと考えられる二つの語彙であっても、ほとんどの場合、感情面を含め、ある程度の差異は存在すると理解すべきということです。
しかしながら、実際にはそのあたりの差異までも含めて一つ一つ語彙の範囲を定義しながら外国語教育を行うことは不可能です。
だからこそ、実際に使用する中で何度も失敗しながら、その範囲を確定していくしかないのです。
ただし、問題は、私たちがある言語を学習し始めるときに最初からその違いについての存在をある程度覚悟することができるかどうかです。
例えばその学習対象言語が、私たち日本人と文化的にも地理的にも遠いことが分かっている言語であれば、その覚悟は比較的容易にできると思います。
その証拠に、私たちは英語やフランス語を学ぶときにはこのことを当たり前だと思うことができます。
ですが、中国語ではこれらの言語に比べその覚悟を容易にはできないと思います。
それは、中国語を話す中国人は、外観上も私たち日本人に非常に近いものがありますし、文化背景も漢字を共有しているなど共通点が多いだろうという思い込みがあるからではないでしょうか。
日本人は、中国人および中国語という存在に関して、身体的・文化的親近感からくる同質性ゆえに、言語においてもその同質性を必要以上に「期待」してしまうのかもしれません。
だからこそ、考え方の「違い」に遭遇した時、必要以上に大きなショックを受け、戸惑いが生じるのだと思います。
つまり、これは「可愛さ余って憎さ百倍」ということなのでしょうか?(笑)