国技の国際化
2007年9月1日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
最近のもっぱらの話題といえば、安部改造内閣と朝青龍。
今回は、朝青龍についてのコメントをしたいと思います。
まず、今回の騒動をみて一つあたまにうかぶこと、それは「when in Rome, do as the Romans do」 (郷にに入りては郷にしたがえ)です。
誰でも、外国へ留学、仕事に行くには、あくまでも行った先の文化に逆らうことを前提に「がんばる」のではなく、まずはそれを理解することを「がんばる」でしょう。
そしてそれがどうしても難しいと判断したのであればだまって、「去る」ことしかないでしょう。
日本国内でもモンゴル国内のインタヴューでも「文化が違うからかわいそう」という意見が多く出ます(モンゴルでは、日本は朝青龍をいじめてるとまで言う人も多いようです)が、それなら来なければよいだけでしょう。
ましてや相撲は日本の国技です。
このようになってしまったのにはまさに土俵がどこにあるのかということの理解(勘違い)から来ていると思います。
つまり、長い間、日本の国技である相撲の最高位の横綱がモンゴル出身の朝青龍ただ一人という状況を作ってしまったことによって、朝青龍の中で、相撲の土俵がいつの間にか自分自身(モンゴル)になってしまったのではないでしょうか?
これは、相撲界全体の脆弱化、そしてそれを何とか朝青龍の強さ(肉体的)にたよって、しのいで来ざるを得なかったという状況がそうさせたと考えられないでしょうか。
この状況の解決方法如何によって、今後の相撲界の進むべき道が、日本人の魂の象徴である国技としての「相撲」をゴールとするのか、様々な文化に理解を示す柔軟な国際競技としての「相撲」をゴールとするのかが大方決まっていくのではないかと思います。
私個人的には、相撲くらいは前者であってもよいのではと考えますが、皆さんはいかがでしょうか?