「情報がない」幸せ
2017年12月20日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
以前にこのブログで「ほぼ日」についての記事を書いてから、それこそほぼ毎日、糸井さんの「今日のダーリン」を読むことが習慣になりました。
糸井さんのさりげなく、しかし心にちゃんと引っかかる文章を毎日コンスタントに発信するその能力に毎日驚かされています。
まさに、糸井さんは文章作成の天才だと思うのですが、その天才である糸井さんが天才だと評価する人に作詞家の故阿久悠さんがいます。
今回、ほぼ日の中でいきものがかりの水野さんとの対談「阿久悠さんのこと」にて彼のことを語っている中で阿久さんの「書き下ろし歌謡曲」という新書を紹介していましたのですかさず読んでみました。
この本は、彼が自らの全盛期を過ぎた後、誰に依頼されるわけでもなく一か月という短期間で100本の詞を書き下ろしてまとめたものです。
本人としては、頼まれて商業的に書く詞というのは、制約が多い中で作らなくてはならないので、自分の思うとおりにならず、常にフラストレーションがたまるもので、これが制約なしの自分の思いに忠実にやり通した初めての仕事だと言います。
ですが、阿久さんは、生涯で5000もの作品を作られ、70年代から80年代における日本の歌謡曲で耳に覚えのあるもののほとんどがこの人の作品ではないかというくらいヒットを作り出しているわけですから、このような制約も実は世の中に響かせる要素としては功を奏していたのではないかと思います。
これら100作品については曲がついていないので何とも言えませんが、私にはやはり制約がある中で作られたすでに世の中に出ている作品のほうが響くような気がします。(ご本人は、きっと分かってないな~と仰ると思いますが。)
以下に、80年代にはまだ小学生だった私でさえ知っているものをあげてみます。
「また逢う日まで」尾崎紀世彦
「あの鐘を鳴らすのはあなた」和田アキ子
「どうにもとまらない」山本リンダ
「せんせい」森昌子
「私の青い鳥」桜田淳子
「宇宙戦艦ヤマト」ささきいさお
「時の過ぎ行くままに」沢田研二
「ペッパー警部」ピンクレディー
「津軽海峡冬景色」石川さゆり
「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行
そんな文章芸術の能力はいかにして出来上がったのか、もちろん「天性」の占める割合は大きいとは思いますが、本書にそれが後天的に作られるとすれば、間違いなくその源になっているであろう要素について書かれていましたのでご紹介します。
「子供のころ、僕は淡路島にいたわけですけれど、あの当時の田舎は本当に田舎なんですよ。今の田舎は中央から距離があるというだけで、同じ情報を得ているわけですが、距離があればあるだけ情報の数が少なくなっていくというのが当時でしたから、分からなければ分からないまま、東京の人間から言えば信じられないようなわからなさなんです。例えばビルディングを見たことがない。ベッドも見たことがない。だから、自分の頭の中でこういうものであるに違いないと推理し妄想するわけです。僕らの世代がほかの世代よりも言葉に対して敏感だったり、強い愛情を持っているとすれば、たぶん妄想と推理の期間がうんと長かったことも関係していると思います。(中略)言葉をまず知って、その実態を確認するまでの間に時差があるという状態、これがまず普通のことだった。しかし、妄想だけ、推理だけという期間があったことは僕にとって実に幸せなことでした。」
今のようなインターネットによってどんな情報も一瞬で手に入るような時代は、もしかしたら、本当は不幸なのかもしれません。
言葉と実態とを簡単に重ね合わせられない時間が、言葉に重みや鋭さを持たせることになる。また、そのような重みや鋭さを伴った言葉を自在に作り出すことができるからこそ、制約を課された中でも非常に高い確率で、人の心に残る作品を生み出せたのだと納得しました。
最近の音楽シーンがあまり魅力的に思えなくなってきたのは、自分が年をとってきたからなのか、それともこのような言葉と実態との間の時間がこの世から少なくなってきてしまったからなのか、と悩ましく思えてきましたが、答えはその両方なのかもしれません。