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本当に残酷な村と化してきた日本

2022年3月4日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

2015年に出版され、当時大きな話題となった「あなたがもし残酷な100人の村の村人だと知ったら」を遅ればせながら読んでみました。

というのも、2020年1月に新型コロナウィルスのパンデミックが起こってから2年以上が経ちながらも、「コロナ免罪符」のような形で途方もない財政出動、しかもそれは未来のための建設的な投資ではなくて、ただ今を凌ぐためだけの支出を行き当たりばったりに行う政府の対応を見て「恐ろしく」なったことがこの古い本を開いてみるきっかけとなりました。

これらの対応は本来はあくまでも「緊急対応」として一時的に行うべきことで、慢性的に行われるようになったら、それはもう「薬物依存症」と変わらなくなってしまうからです。

「薬物依存症」の最大の恐ろしさは、「分かっちゃいるけどやめられない」という状況を作り出してしまうことにあります。

本書が出版された当時から、その存在とその中におおよそ何が書かれているのかということは情報として知っていましたので、この「恐ろしさ」の源泉を「客観視」したいと思ったのがその動機でした。

本書を読むことで身に染みて感じたことがあります。

それは、日本の財政が「薬物依存症」と変わらない状況になったのは、なにも「コロナ禍」に始まったことではなく、すでに本書の出版当時、いやそれよりもずっと前から始まっていたということです。

以下は、本書において明らかにされている日本を100人の村とした場合の現状(2015年の出版当時)の一部です。

「お金を稼ぎ手が減り続けているのにこの村の借金は、村人が一年間に稼ぐ総額の2倍以上です。」

「この村を普通の家庭で考えるとすでに破産していることが分かります。月収30万円なのに49万円の支出が必要で毎月の不足額は19万円です。不足額は全て借金となります。」

「村の老人が増えたことで、この人たちに使うお金が25年間で3倍になっています。残酷なのは、子供や20代の若者にこの借金のツケを回している事実です。」

「この村では41人の人が働いていますが、その内26人が正社員で15人が非正規社員です。後者の人たちはいつ突然クビを切られても保証が何もない人たちです。」

「とても皮肉なことですが、このような状況にもかかわらず、村全体としてはまだ食べられる食べ物を大量に捨てています。その量はこの村で作っているコメの量とほぼ同じです。」

以前に私は、このような絶望的な状況にある村(日本)の財政に関して、このままでは「破綻(デフォルト)に陥る」とする(藤巻説)と、国家と家庭(村)とはそもそも全く前提条件が違うためいくら借金が増えても「破綻(デフォルト)しない」という(高橋説)の二つが説が存在していることをご紹介しました。

その際に私は自らの評価として「圧倒的に藤巻氏に軍配を上げたいと思います。」と書きましたが、年々この村の状況が悪化しており、また良くなる条件は今のところ全くないという「現実」を本書によって突き付けられた今、それ以外のシナリオを想像することは不可能だとして、藤巻説支持の気持ちがより強いものとなりました。

逆に言えば、いくら借金が増えても「破綻(デフォルト)しない」という高橋説をとるということは、分かっちゃいるけどやめられない」という薬物依存症よりもよほど致命的な病に陥っていると言わざるを得ないのではないでしょうか。

少なくとも「持続可能性」に関する視点がそこには全く見当たらないのですから。

 

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