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農家はもっと減っていい

2022年10月9日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回、「森林列島再生論」で「林業」という「食料」や「住宅」といった人間の生活に直結する産業のうちのひとつについて詳しく見たことから、もう一つの「農業」についても関心が高まり、「農家はもっと減っていい」という一冊の本を読んでみることにしました。

本書の著者は、1994年慶応大学を卒業後大企業でのサラリーマン生活を経て、1998年に農業の世界に飛び込み、年間100種類以上の野菜を自社「株式会社 久松農園」で有機栽培されている久松達央氏です。

以下、本書の示す日本の農業の現状について過去から現在そして未来への流れを意識しながらまとめてみたいと思います。

日本の農業は昭和から平成の30年間にわたって一貫してずるずると構造改革から逃げ続けてきました。

しかし、それは農家だけの責任ではなく、政府、農協をはじめとする団体、そして一人一人の農家も含めたすべてのプレーヤーの総意によるものでした。

ただ、2015年くらいからようやく農業の大淘汰時代が始まったとの感触を著者は感じているようです。

というのも農業への一般法人の参入が認められたことで著者をはじめとする新しいプレーヤーも誕生するなどしたことやテクノロジーの進展によって、低所得の農家が減り、高所得の農家が増加した結果、たった4%に過ぎない産出額3000万円以上の高所得農家が総産出額の53%を占めるまでに集約が進んでいるのです。

ただし、これは低所得農家が積極的に高所得農家に対して農地と経営を移転しているからということではなく、あくまでも農家の高齢化による「自然減」の結果に過ぎません。

つまり、高齢で農業を継続できなくなるまでは多くの農家は「赤字」を垂れ流し続けて、積極的に大規模農家への経営の移譲をしようとはしないのです。

その原因は大きく二つあります。

一つは「兼業農家」という形態です。

これは、日本の農業政策が農家の農地所有に対する大きな優遇(税制や所有の限定など)をしてきたために、都市生活者であれば住居費が所得の大部分を占めるのに、農家はほとんどタダ同然でそれを享受できるため、その権利を維持するために赤字農業を続けつつ、兼業による農業外所得や年金で補填をすることがでるからです。

これによって非効率的な農業を続けながらも、効率的な大規模農業によって生産される作物と市場においてある程度競合できてしまったり、また市場に出さずに親戚への融通などを含めた自家消費によって、大規模な専業農家のモチベーションを削いでしまうことにもつながっています。

もう一つは「(稲作に偏った)補助金」の存在です。

本来、農業の集約が進めば、効率的な農業生産が可能となり、補助金など必要ない段階にまで到達することは理論上不可能ではないのに、稲作に圧倒的に偏った補助金制度のために、効率的農業経営を志向しようとする大規模農家も実際の消費者の需要に沿った作物の選択やより進んだ効率性追求への努力をすることがバカバカしくなってしまうという状況にあります。

著者はこのことを「クイズゲーム」のたとえで分かりやすく説明してくれています。

そのゲームが、第一問10点、第二問10点、最終問1000点という配点だった場合、誰が第一問と第二問を真剣に解く努力をするのかということです。

第一問(稲作以外)、第二問(稲作以外)、最終問(稲作)のいずれも解くために必要な努力は同じなのにもかかわらず、最終問にだけ1000点(補助金)が付いてくるのであれば、誰も最終問以外に関心は示さず、優秀な農業経営者の能力がいかにその補助金を上手に得るかにということに使われてしまうことになるのは当然です。

本来であれば、コメの消費が人口減少によって確実に減っていく日本においてはこのような稲作への政策的偏重を改め、優秀な農業経営者の関心がその時々の市場のニーズを把握しながら全体にバランスよく配分されるようにするかを考えることこそが鍵となるはずです。

前回の「林業」とは異なり、「ウッドショック」のような明確な分岐点は今のところ存在していない「農業」というフィールドに身を置きながらも、このように業界の問題点をしっかりと把握しながら、自らの才覚で確実に結果をだされている著者の言葉には、大きな希望を感じさせられました。

 

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