
海外で結果を出す人は異文化を言い訳にしない
2025年7月5日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
私は、ランゲッジ・ヴィレッジという海外で結果を出すことを目的とする方々のお手伝いをする施設を運営する上で、外国人と協力して仕事をしていますし、「SEACTテスト」という英語の口頭運用能力を測定するテストの運営をする上で、外国人試験官を束ねる仕事をしていますので、「異文化」と接する機会は通常よりは多いだろうと自覚はしています。
ただ、それらの顧客は全て日本人ですので、「海外で結果を出す」という経験はしたことがないと正直に告白しなければなりません。
とはいえ、私たちのサービスを利用する顧客の皆さんの多くが「海外で結果を出す」必要がある人であるため、そのことに向かい合う必要はあると常に考えてきました。
その必要を少しでも満たすために「海外で結果を出す人は異文化を言い訳にしない」という本を読みました。
本書の目的は次の通りだと冒頭で宣言されています。
「ビジネスに細心の注意を払い現地のこともよく研究していたのに思うように結果を出さない人と海外に出ても国内と変わることなく生き生き年ごとに向き合い着実に成果を上げる人との間にある『共通してみられる違いはどこにあるのか?』『うまくいかない人は何につまずいているのか?』の二点について事例を紹介しながら、明らかにする。」
上記の必要性を満たしたい私にとっては願ってもない一冊でした。
実際に、本書は事前に思っていたよりもずっと具体的であり説得的でした。
それは、前者の「具体的」なのはそれぞれの項目で事例を紹介しているということからまあ当然なのですが、後者の「説得的」に関して、上記の「成果を出せない人」と「成果を出せる人」との間にある「共通してみられる違いはどこにあるのか?」と「うまくいかない人は何につまずいているのか?」の二つの疑問の答えを導き出すためのアプローチが非常に明快だったからです。
つまり、この二つの疑問を「異文化が理解できていないから」という大きな「言い訳」で片付けてしまうのではなく、その人がうまくいかない状態を以下の4つのポイントに分け、それぞれのポイントに照らし合わせて、できない理由をあぶりだし、それを反省材料とし問題解決につなげるというアプローチだったのです。
その4つのポイントとは、
①その国の発展段階の違いによる壁
これは、日本のような長らく成熟期から停滞期にある国におけるビジネスに慣れてしまった人が、成長期の真っただ中で商品を置けば売れる状況で、自分が慣れているしっかりとしたマーケティング手法にこだわってしまい、結果うまく人を動かせないなどといったケースです。この場合には、何よりも商品供給を最優先することが重要であることを理解できるかがカギだからです。
➁ビジネス領域の違いによる壁
BtoBのビジネスに長らく身を置いた人が、駐在先で初めてBtoCのビジネスに携わるといった状況で、かつて当たり前に適用していたBtoBビジネス向けの手法にこだわってしまい、結果BtoCのマーケットで通用しないことに悩むといったようなケースです。この場合には、まずそのビジネスがどのようなビジネスなのかを知り、新しい手法を身に着けることがカギとなるからです。
③組織での役割にの違いによる壁
往々にして、海外勤務のケースでは、本国でのポジションよりもより高いポジションでのアサインが普通です。本国では、自分自身が一プレーヤーに徹するだけでよかったところから、部下に対して丁寧に指導をする必要が生じているにもかかわらず、そのことを理解できず、一プレーヤーの動きしかできないことで成果につながらない事態を、現地の部下の責にしてしまうようなケースです。この場合には、そのポジションに求められる能力が何なのかを理解し学ぶことがカギとなります。
④文化の違いによる壁
これが唯一「異文化」によって生じる問題です。つまり、①~③までをすべて考慮した上でまだ問題が解決できなかった場合のみに考慮するべきことです。ですが、この壁はこれだけで問題として顕在化することは限らず、それ以外の問題と複合的に絡み合って顕在化しているケースが多いため、特に冷静に対処するべき項目だとしています。
つまり、「異文化を言い訳にしない」という本書の主題に対する答えは、常に「そのトラブルは本当に文化の違いから来ているのか?」ということを自問して、上記のフレームワークを駆使することで、本質的な問題解決に取り組む(そのためにはビジネススキルを身に着ける必要がある)ということになります。
このように諭されてしまうと、「海外で結果を出す」という命題に対する「英語でのコミュニケーション能力」というのは、そのために必要なビジネススキルと並び、上記の答えを出すというミッションを遂行するための基礎の基礎部分にすぎないのだということが良く分かります。
まさに「たかが英語、されど英語」ということでしょう。