発達障害は「病気」ではない
2022年5月22日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
この世の中「知らない」ことから起因する「不安」や「恐れ」というものはいろんな分野で数限りなく存在しています。
「英語学習」もその一つで、多くの人が本質的理解がないばかりに不必要に不安になり恐れた結果、こんなに自分と世界をつなげ自由にしてくれる素晴らしいツールを手にする機会を失っています。
最近、日経 Goodayの記事を読んで、私自身「知らない」ということから本来世の中にとって大きなプラスとなる可能性があることを否定する側に回ってしまっているかもしれないことに気づかされました。
それが「発達障害」という概念についての理解です。
以下に記事の要約をします。
「多くの方が『発達障害』という言葉を、糖尿病や胃がんのような疾患名だと誤解しています。発達障害とは、「生まれつきの脳機能の偏り」を持つ状態の総称のことです。脳機能に偏りがあるために、思考パターンや行動パターンが独特の特徴を持つようになります。具体的には、個性や特性であり、あたかも『色』の中に、青があったり、赤があったり、黄色があったりするようなものです。従って『発達障害』は病気ではなく『治すべきものではない』のです。」
「発達障害」は総称であり、分類すると主に次の三つに分類されます。また、それぞれに該当する自ら公表されている著名人を記載します。
◆ 注意欠陥・多動症(ADHD:attention deficit hyperactivity disorder)
注意・集中力の障害と多動・衝動性が見られるもので、授業中、先生の話を全然聞かないでぼうっとしていたり、空想の世界に遊んでいたり、自由に絵を描いたりしていたというケースもよく見られる。多動で落ち着かず、授業中におしゃべりをしてしまうことを言うが、多動という言葉から「席に座らないでうろうろしている」というイメージを持ちがちだが、そこまでのケースはほとんどなく、いつも体を揺らしているとか、椅子をガタガタさせているとか、その程度が一般的。
・ウィル・スミス
・黒柳徹子
・さかなクン
・深瀬慧(SEKAI NO OWARI)
◆ 自閉スペクトラム症(ASD:Autism Spectrum Disorder)
「空気が読めない」「場の雰囲気にそぐわない言動をしてしまう」などの対人関係やコミュニケーションの障害が第1の特徴。第2の特徴は「こだわりが強いこと」。例えば電車を1時間でも2時間でも見続ける、おかずを全部食べてからでないと絶対に白飯に手を着けないなど、物事や自分の行動パターンについて極端なこだわりを持っていることで親しい友人ができず、集団の仲間入りができないとか、相手の表情や言葉のニュアンスをつかむのが苦手なため、孤立し、学校や職場での活動が難しくなる。
・米津玄師
・栗原類
・スティーブ・ジョブズ
・イーロン・マスク
◆ 限局性学習症(LD:Specific Learning Disorder)
学習障害と呼ばれることもあるが、全般的な知能が正常範囲にあり、視覚(視力)や聴覚(聴力)には障害がなく、学習環境や本人の意欲にも問題がないにも関わらず、「限局性」と付くように「文章を読むこと」、「文字・文章を書くこと」、「計算すること」など特定の領域だけが上手くできないという状態。
・ミッツ・マングローブ
・スティーブン・スピルバーグ
・トム・クルーズ
・オーランド・ブルーム
上記の説明からすると、ADHDとASDの性質の違いが分かりにくいかもしれませんが、「タイムカードの打刻をよく忘れる」という現象でも、その理由がADHDは「うっかり忘れる」ことであるのに対して、ASDの場合は「打刻する意味が分からない」ことであるという違いがあり、ASDの人には頑固なところがあり、自分の興味がないことは強い意志を伴ってやらないという側面があるようです。
このように見てくると、この問題の本質は、私たち人間が安定し秩序だった社会の状態を維持することを重視するがあまり、「正常な性質」という基準をあえて定めてしまうことにあると言えそうです。
つまりは、人間という動物が本来持っている性質の違い・ばらつき(偏差)を認めないことであるということではないでしょうか。
しかし、社会はかつての安定し秩序だった状態で最もよく発展する「工業社会」から標準から極端に振れたイノベーションを求める「脱工業化社会」になっています。
そのような社会の中心的な担い手はむしろ「発達障害」と診断されてしまうような人たちなのかもしれないということを私たちは少しずつ感じ始めているのではないでしょうか。
アップルのスティーブ・ジョブズやテスラのイーロン・マスクなど錚々たる著名人が明らかに標準から外れた「こだわりの強さ」で社会を変革する様を見せつけられると、この記事にある「発達障害は病気ではなく治すべきものではない」という主張の意味を理解できるようになります。
ということであれば、明らかにこの性質はすぐれた「個性」である可能性があるものであり、名称の中に「障害」という言葉が入っていることすら問題視するべき時に来ているように思います。