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去りがたいこの世を去った石原慎太郎

2022年2月2日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

また一つ巨星が墜ちてしまいました。

芥川賞作家にして弟 裕次郎に昭和の大スターになるきっかけを与えた兄、また運輸大臣や東京都知事などを歴任した政治家の顔も持ったマルチ人間 石原慎太郎氏が2022年2月1日亡くなったというニュースが飛び込んできました。

石原氏の著作についてはこのブログにおいて

天才」「死という最後の未来」「法華経

という三冊の書評を書いています。

特に印象に残っているのは、「死という最後の未来」です。

というのも、本書の中で石原氏は、自らの死生観を訊ねられた際、

「世の中のすべてを知り尽くすまで死にたくない。だって、死は人生との決定的な別れですからね。去りがたいですよ、この世を。」

とこの世の「生」にどこまでもしがみつく姿勢を示したのに対して、対談相手である曽野綾子氏に、

「ずっと生きていたら、どこで辞めたらいいかわからないじゃないですか。(笑)永遠に命があったら、疲れますよ。死なないということは最高の罰でもあるんです。」

と掌で転がされるかのように諭されていたことが妙に印象に残っています。

そんな石原氏には最も来てほしくない瞬間が来てしまったということなのでしょうが、彼のこの世での八面六臂の活躍を思えば、十分納得のいく人生であったのではないかと勝手に推測します。

石原氏は私の母校でもある一橋大学在学時に小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞されたということで大学のPRのためにご自身の在学のエピソードを交えた講演を様々なところでされていました。

私はちょうどアメリカ留学のための休学を終えて復学したタイミングでその講演を聴く機会に恵まれました。

その講演で私の記憶では、

「僕が一橋に入った理由は、そのころ一番実入りが言い職業は公認会計士だと聞いており、その会計士になるために最も適した学校が一橋だということだったからだ。でも実際に入学しその勉強を始めたら、俺には向いていないとすぐ判断して会計士になるのはすぐにやめた。この話を聴いている人で会計士の人や目指している学生がいたら申し訳ないがこんなバカバカしくつまらない勉強はないなと思ったね。」

まさに「慎太郎節」爆発といった内容で、母校のPRには全くなっていないように思えたのですが、その時私はなぜか「あの石原慎太郎でさえ諦めた公認会計士試験に受かったらすごいな」と全く逆の方向性で触発されてしまい、その直後から受験勉強を開始してしまいました。

石原氏の様に「すぐ」にではなく足かけ3年頑張りましたが、結局同じように「向いていない」と判断し諦めました。

ただ、私の場合は「向いていない」とは思っても「バカバカしい」とは思っていません。

彼の様に「作家」という特殊能力があるわけでもない私には今の仕事である企業経営にその知識は少なからず役立っていることを実感しているからです。

その意味では、あの時あの講演を聴いて全く逆の方向性で触発されたことは私の人生にとってはマイナスどころか大いに感謝すべきことだったと思っています。

石原慎太郎氏のご冥福をお祈りいたします。

 

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