なぜ成功する人は神棚とご先祖様を拝むのか?
2023年5月3日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
前回、堀江貴文氏の「信用2.0」をご紹介して、意外?にもあのホリエモンが「目に見える資産(流動資産と有形固定資産)」よりも「目に見えない資産(無形資産)」を重視していることを確認しました。
とはいえ、合理主義の塊のようなホリエモンですから、その「見えない」範囲はあくまでも「現世」のものであり、自分が死んだ後のことを想定した議論は当然のことながらありませんでした。
そんな中で無意識のうちに目に飛び込んできたのがこの「なぜ成功する人は神棚とご先祖様を拝むのか?」という本でした。
というのも、私は小さなころから神棚と仏壇が中心にある家に育ち、特に仏壇は家族が集う居間の壁の中に作り付けられており、毎朝拝んでから学校に行くということが習慣化されていました。(小学校では友達に「線香臭い」とよくからかわれたものです。)
今まで実家の引っ越しは二度あったのですが、家と一体化した仏壇は毎回大工さんにお願いをして一旦家から分離した上で、新しい家に再び移設する作業を繰り返しています。
今でも神棚と仏壇に手を合わせる習慣はそのまま継続しており、またうちの「三つ子」もそれを当然のこととしながら、小学生の間は仏壇のある部屋に三つ机をならべて勉強をし、いくつもの先祖の遺影に見守られ(監視され)ている状態でした(笑)。(彼らが中学生になった現在はそれぞれの部屋を持ち、普通の仏間兼居間に戻っています。)
このように、我が家では神棚と仏壇に手を合わせるのが当たり前にはなっているのですが、このような「拝む」という行為を毎日行う理由について自分自身、客観的に考えたことがありませんでしたので、いい機会だと思い、本書を読んでみることにしました。
本書の著者である窪寺伸浩氏は「木を哲学する」ことをミッションに掲げ、「神棚の製造」のみならず「住宅事業」までを手掛けるクボデラ株式会社という企業の経営者です。
一瞬、「神棚」のセールス本の類かなとも思ったのですが、実際に読んでみると私が冒頭に提示した「神棚と仏壇に手を合わせることの意味とは何か」という問いに対する明確な答えを提示してくれていました。
以下、本書における著者の主張を私なりにまとめてみたいと思います。
まず、日本人が「仏壇」に手を合わせるという行為は、真言宗・天台宗・浄土宗・日蓮宗等々、それぞれ自ら帰依する宗派の「本尊」に対して「拝む」ことというよりは、自らの父母・祖父母を含めた先祖の位牌を「祀る」ことだという理解のほうが正しいのではないかということ。
そして、その「祀る」という行為は、そもそも「真釣る(真につりあう)」こと、すなわち自分と神仏の交流(コミュニケーション)を図り、感謝をするということを意味する。
著者はここで遺伝子工学の権威である筑波大の村上名誉教授の生命誕生に関する次のような言葉を引用しています。
「この世に生を受けるということは一億円の宝くじを100万回連続して当てるようなものです」
先祖を二十代さかのぼると210万人、三十代前までさかのぼると20億人をこえるわけで、私たちの生命はこの数えきれない人間の営みの中から連綿とつながっている文字通り「ありがたい」ものであり、このように考えれば、この奇跡的ありがたさに対する「感謝」は自然に湧き上がってきてしかるべきものではないか。
そして、「仏壇」で考えると一般的にはせいぜい数代前までで、手を合わせる対象は「ご先祖様」ということになるのだが、二十代、三十代前までを考慮に入れるならそれは「日本全体のご先祖様」、すなわちそれが「神棚」に手を合わせるということであり、この超絶的なありがたさに対する「感謝」を伝えていることになる。
「仏壇」や「神棚」に手を合わせるという「(広い意味での)先祖」に対して「感謝」を伝える行為が、とかく「俺が俺が」となりがちな自己中心的な私たちに「謙虚さ」を維持させることにつながる。
これが、「神棚とご先祖様を拝むこと」と「成功」との間に相関関係があることの説明となるというのが著者の大まかな主張です。
実際に、私はこの説明に大変大きな説得力を感じ、今後もこの習慣を着実に継続していく意志を新たにしたこと、そして本書に「神棚」のセールス文句は全くなかったことをご報告しておきます。(笑)