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教養としての数学

2022年8月31日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

今回ご紹介するのは、私の苦手分野である数学の本、その名も「教養としての数学」です。

副タイトルは「億万長者だけが知っている世界一役に立つ数学的思考力の磨き方」です。ここまではっきりと言われてしまうと手に取らないわけにはいきませんでした。(笑)

そもそも私たちは、数学(による合理性)とお金はほとんどなじみがないということを実感しながら生きています。

もし、逆になじみがあるとすれば、数学者や経済学者のほとんどがお金持ちになっているはずですし、以前にご紹介した「ひろゆきと考える竹中平蔵はなぜ嫌われる」の中でひろゆき氏が「それを歴史が証明している。だって世界の歴史上、大金持ちになった経済学者はたった二人しかいない。それはケインズと竹中先生だけ。」と竹中平蔵教授をいじっていましたから。

ただ、本書を読み進めていく中で、「あっ」と思ったことがありました。

それは、数学者や経済学者のほとんどが、、、と言うひろゆき氏の冗談にある程度納得しつつも、お金持ちになった二人しかいないうちの二人とも数学者ではなく経済学者だという事実(調べていませんが、厳然とした事実ではないと推測します)に対してです。

また、数学がもし完全にお金儲けと馴染むのであったなら、

「大多数の人々は60%の確率で50ドルが儲かるギャンブルに50ドルを賭けない。」

という事実はあり得ないことになります(期待値は10ドルの儲けになるはずだから、数学的思考ができる人間は全員この賭けに参加するはずだから)。

しかし、実際の社会では結構な割合の人はこの賭けには参加をしません。

その理由として本書は以下の三つを挙げています。

(1)人間は効用に基づいて価値を推定するので、人によって同じ財に別々の価値を付けることは合理的な場合もある。

(2)効用は主観的なものであり、その消費者の総資産によって変わる。

(3)お金の限界効用は低減する。

つまり、人は完全に合理的な行動をとるとは限らないという人間の複雑さが数学には織り込まれていないからということになります。

例えば、その人に十分な金銭的余裕があり、50ドルはとるに足らない損失だと考えているならこの賭けには間違いなく参加するはずです。

しかし、「50ドル」を失ったら次の給料日まで生きていけない状況にある人は、頭では参加したいなと思っても参加しない決定をする可能性の方が高いでしょう。

つまり、お金持ちも貧乏な人もどちらも最初の50ドル(賭金)の方が追加の50ドル(儲け)よりも効用が大きく感じられるけれども、前者よりも後者の方がその感じられ方が強くなるというわけです。

数学の知識だけではなく、このような人間の心の奥底の傾向にまで精通していないと継続的なお金儲けはなかなか難しいのです。

だから、数学的な合理性というごく一般的な基準にすぎない現象を研究対象とする数学者よりも、人間という複雑な動物の集まりである実社会の現象を研究対象とする経済学者の方が、そして研究ではなく実社会での荒波にもまれながらも生き残ってきている実業家の方が、お金儲けに馴染むのは当然のことです。

とは言え、上記の数学的思考<経済的現象<実社会でのサバイバルという現実を抑えながらも、実社会の現実を経済的現象に分解して把握しつつ、数学的思考を活用して一般化する手法をかなり分かりやすく解説してくれています。

以前にご紹介した確率統計に関する著作である「たまたま」と併せて、数学嫌いの文系人間にもとっつきやすい内容になっていると思います。

 

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