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科学するブッダ

2024年5月21日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

少し前に田坂広志氏の「ゼロポイントフィールド」シリーズをご紹介する中で、次のような感想を述べました。

「今から2500年以上前に成立した『仏教』の考え方と、最先端科学である『量子物理学』の考え方が奇しくも同じような結論を導き出しているということに気づかされ、私も著者と同様に、この心の底から湧き出る感動を一人でも多くの人に伝えたいという気持ちになりました。」

なぜ私がこのような感動を得るに至ったのかと言えば、著者である田坂氏が単に宗教的・神秘的なストーリーに終始しているのではなく、もともと原子力工学の専門家で科学者としてのバックグラウンドを持ったうえで「神秘性」への理解を深めた経験があった方だというところが大きいのは間違いありません。

そこで、もう少し「仏教」と「科学」の関係について深く探求してみたいという気持ちが高まり、「犀の角たち~科学するブッダ~」を読んでみることにしました。

本書の著者で現在花園大学文学部仏教学科教授を務められる佐々木閑(しずか)氏のプロフィールは以下の通りです。

「1956年に福井県三国町の浄土真宗のお寺で生まれながらも、幼少から科学好きになり、寺の跡継ぎになる気は全然なかった。京都大学工学部に進み化学を専攻するが、論文を読んでも頭に入らず『科学は何を目指しているのか』『科学と人間の間にはどんな関係があるのか』など、すぐに答えの見つからない疑問ばかりが頭に浮かんでしまったことから、文学部哲学科仏教学専攻に入り直して仏教学に転じた。」

という異色の経歴を持つ方なのですが、この方もまずは科学の世界に足を踏み入れた後、科学と宗教との関係に目を向けることになったという意味で田坂氏と共通点があることが分かります。

本書のテーマを一言で表現すれば、仏教と現代科学の共通点を見出す試みということになります。

まずは、科学(の歴史的変遷を経た)世界観について短くまとめてみます。

「もともとガリレオ・ガリレイの事例のようにキリスト教に迫害されるような形で萌芽した科学ではあったが、それでも万有引力を発見して物理学の基礎を作ったニュートンの視点ですら、あくまでも超越的存在である神が創り出した完全無欠のスタイリッシュすぎる『世界の法則性』を明らかにしたという自覚があり、それはあくまでも『神の視点』からの物の見方であった。その後、アインシュタインの相対性理論、ハイゼンベルクの不確定性原理、そして現代量子論という具合に発展し続けたが、その流れは絶対的で論理的な体系を否定するようなある意味不格好なもので、人間が主観的に関わることでしか理解できないものとして見出されてきた。すなわちそれは『神の視点』から『人間の視点』への変遷であった。」

このように、科学の発展は、ただ神の奇跡のみにすがり、それ以外は邪論として迫害する姿勢から、自らの努力によって「世界の法則性」を見つけ出そうという姿勢への変化であった。ただ、その見出された「法則性」は、当初はあくまでもそれを創り出した神の絶対性を明らかにするための「神の視点」が中心だったものから、その発展に伴って次第に観察者である「人間の視点」へと移行するというのが科学の歴史ということになります。

続いて、仏教の世界観について短くまとめてみます。

「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といったような一神教と異なり、仏教は神という超越的な存在を前提としておらず、あくまでも『世界の法則性』に束縛されながらも自らの努力により真の安らぎを得るための道を見つけ出すことに成功した釈迦が、その悟りを自分だけの専有とすることに満足せず、他の者(衆生)の前に戻って同じ道を歩むように呼びかけ励ましながら悟りの境地に向けて一緒に歩んでいくというのが仏教の世界観である。」

つまりは、一神教の神のような絶対的存在がその力で起こしてくれる奇跡に助けを求めるような姿勢ではなく、ただ単純に厳然と存在する苦痛に満ちたこの世界の「法則性」を受け入れ、その中で努力し、自己変革をすることで自らあるべき道を歩いていくことを目的とする考え方ということになります。

このように「科学」と「仏教」の世界観を並べてみてみると、仏教という宗教は一神教の宗教と異なり、あくまでも人間の努力によって「世界の法則性」を明らかにするという目的において科学と見事な共通点があるということに気づかされます。

その一方で、科学は物質と精神を二分し、物質のみを考察対象としているのに対し、仏教は逆に精神のみを考察対象としているという点に大きな違いがあります。

ただ前回の「ゼロポイントフィールド」シリーズで見たように、現代の最先端科学である「現代量子論」に至っては、「目に見える物質」だけでなく「目に見えない意識(精神)」をも含めたこの世の全ての物事の本質は「波動(エネルギー)」に他ならないというように物質も精神と同一のレベルで扱うということで、その考察対象についても違いは小さくなっているというのが著者の指摘です。

毎日仏壇に手を合わせる習慣のある私としては、今までも仏教の考え方はキリスト教などの一神教に比べフェアで合理的な世界観を持っているなと感じてきましたが、本書を読むことでその思いが完全に確信に変わったような気がします。

 

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