経済成長とは何か
2022年1月19日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
「日本の借金が止めどなく積みあがることで最終的にはハイパーインフレを起こしてしまう」という最悪の状況を回避するために日本の財政を規律あるものにすることは是か非か
この命題については、以前に伝説の元マネートレーダー藤巻健史氏の「コロナショックを生き抜く(お金編)」と元財務官僚で内閣参事官等を歴任されている高橋洋一氏の「国民のための経済と財政の基礎知識」という完全に対立する二つの考え方について紹介しました。
私はこのふたつの記事の中でそれぞれの考え方を比べた結果、圧倒的に藤巻氏に軍配を上げました。
しかしながら、世間においてはいまだにこの二つの議論の結論が出ていません。
そこで、私の「藤巻論」的考えについて再度検証する意味で「高橋論」的考えで書かれた「経済成長とは何か」という本を読んでみることにしました。
本書の内容から興味深いと思われる内容をいくつか引用します。
まずはそもそも論として「経済成長とは何か」について以下のように書かれています。
「経済成長とは一般的には国内総生産(GDP)そのものです。つまり、新しく作り出される経済価値の集合体、いわゆる付加価値(粗利)の合計を指します。」
であれば、それが絶対的に必要なものなのかを考えるため「脱成長」について見てみます。
「なぜ経済成長は必要なのでしょうか。それは子供は皆一人では大人になれないし、年をとれば一人では生きていけないからです。高齢者が安心して暮らし、子供たちを育てて社会を次世代につなげるためには、現役世代の収入が増えることが不可欠です。つまり、全世代と次世代を支えるために必要なものは何かというと、それは『原資』なのです。そして原資はどこから来るかというと、経済成長です。だから『ゼロ成長でもいい。いやマイナス成長でもいいじゃないか、成長しなくてもみんなが静かに暮らしていければそれでいいじゃないか』というわけにはいかないのです。そしたら、老人は姥捨山に送り込んで早く安楽死させ、子供は作らないとなってしまう。それしか選択肢はないのです。」
なるほど、ここまで読むと本書が明らかに、日本が現在のようなデフレ不況から抜け出すためには財政再建よりも国債発行による景気刺激によるインフレ政策が必要だという「高橋論」に結びつけていることが分かります。
その際に必ず議論になる「ハイパーインフレ」に関する懸念については以下のように書かれています。
「日本とギリシアやその他欧州諸国とは状況が決定的に違います。なぜなら、日本の国債の90%強は民間銀行を中心とする国内の機関投資家が保有しているのに対し、ギリシアなど欧州では外国の投資家が国債保有の大半を占めているからです。外国の投資家は市場不安が起きると直ちに売りに出るので、国債は暴落しやすいのです。日本の都市銀行も、生命保険会社も皆大量の国債を保有しています。これを投げ売りする、つまり自分の首を絞めるようなことをするのでしょうか。それに、日銀はいくらでもお金を吸って民間が売りに出した国債を買い支えることができる。自国通貨建ての国債は、中央銀行がしっかりと買い支えられるので暴落しない。仮に日銀が国債買いをボイコットすれば、国家経済崩壊を招くので、中央銀行の資格はありません。」
このように高橋氏の主張と全く同じです。
しかし、前回の記事でも書いたように、日本の金融機関であっても、政府がどこまでも国債を発行することで債務を重ね、財政のバランスを完全に崩し続けることになれば、日銀が買い入れしてくれると分かっていたとしても日本国債以外の選択肢を検討することだってありうるという可能性は否定できないのではないかと思えます。
つまり、「どこまでも」日銀が買い入れし続けるというシナリオは絶対ではないのではという純粋な私の疑問は本書によってもやはり解消されることはありませんでした。
というか、高橋氏も本書の田村氏もそのことよりも先に議論すべきことを避けているように思えます。
それは「規制緩和」の議論です。
そもそも両氏が一定の評価をしているアベノミクスは「三つの矢」と呼ばれる以下の三つから構成されていました。
すなわち、量的緩和を含む大胆な「金融政策」、機動的な「財政戦略」そして規制緩和を主とする「成長戦略」です。
高橋氏や田村氏の議論はそのうちの二つ「金融政策」と「財政戦略」に限定されていて、実際に経済に直接作用する最も重要な「成長戦略」には全く触れていないのです。
正直言って「金融政策」と「財政戦略」の二つに関しては日本はやりすぎるほどやったけど効果がない。
残るは「成長戦略」ということになるのですが、規制緩和という手法はそれこそ「直接的」すぎて既得権者の抵抗が容易に予想されるため政治的に最も難しいわけです。
それでもこの国家の危機を救うためには、財政の規律を無視した上で行われる「金融政策」と「財政戦略」ではなく、経済成長に直接作用する「規制緩和」という本来あるべき主張を堂々とすべきではないかと思うわけです。
自分の考えに対する再度の確認と思って読んでみた結果、非常に参考になる内容は多数ありましたが、それでもやはり考えの大枠は変わらず、私は「藤巻論」をとり続けたいと思いました。