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芸術起業論

2016年3月18日 CATEGORY - 代表ブログ

村上隆                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  【2003年にオークションで6800万円の値が付いた作品】

皆さん、こんにちは。

芸術家として日本では認められず、日本を飛び出し、海外で認められることで日本で認められる。

このような経験をして、芸術家としての確固たる地位を確保した人間は少なくありません。

本書「芸術起業論」の著者、村上隆氏もその一人です。

ゴッホやモネに影響を与えた浮世絵を生み出した日本の芸術家で世界に通用する人が片手で数えるほどしかいない理由を著者は次のように指摘しています。

「欧米の芸術の世界のルールを踏まえていなかったから」

つまり、そのルールに従わないものは、「評価の対象外」となってしまうわけで、実際にその人の能力だとか作品の独創性だとかの深みなどとは全く関係ないところで、NGが出されてしまう現実があるということです。

著者は、そのルールを分かって勝負をしている数少ない日本人の芸術家ということになります。 そのルールとはいったい何なのか?

このことについて、著者は面白くそしてシンプルに説明してくれています。

「欧米のルールでは、芸術にいわゆる日本的な曖昧な『色がキレイ』と言ったような感動は求めていない。一方で、知的な『仕掛け』や『ゲーム』を楽しむというのが基本姿勢となっている。」

なるほど、日本芸術の中で「浮世絵」だけがここまで大きく欧米芸術に影響を与えたという理由がなんとなく分かったような気がします。 このルールの中での評価の本質は、「観念」や「概念」の創造についてであり、その作品の表面的な「美しさ」を表現するための素材の良さやその芸術家の努力の量とは全く関係ないということになります。

つまり、欧米のルールにおける芸術の評価は、「好き嫌い」ではなく、ルールに沿った文脈の中で行われる非常に論理的な作業であるという印象を受けました。 そして、ここが著者の指摘で今回最も印象深かったのですが、欧米の芸術における評価のルールがそうであるならば、芸術家が創り出す「観念」や「概念」を的確に「伝える」力が必要になるという考え方です。

このことを思えば、冒頭のように、「日本の芸術家で世界に通用する人が片手で数えるほどしかいない」のは、そのルールを知らないという根本的な問題とともに、自らが創り出した「観念」や「概念」を伝えられないという問題が大きいかもしれないという課題が見えてきます。

そして、我田引水のように聞こえるかもしれませんが、「伝える」ためにはやはり「英語力」が必要となることは言うまでもないことです。

現に、著者は自らの作品を紹介するカタログで使用する言葉に関しては、5~6人の翻訳者で5~10回の推敲を重ねて作り上げると言います。

私は、以前の記事 で翻訳本に対する違和感について書いたことがありますが、書籍も芸術作品も「伝える」媒体であるのであれば、言葉の重要性をそこまで厳しいレベルで要求するのは当たり前のことだと再認識した次第です。      

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