「英語ができない日本人」を作る真犯人
2022年8月17日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「英語が出来ません」からテーマをいただいて書いていますが、第三回目のテーマは英語学習に対する「動機付け」についてです。
著者が本書を書いた根本的な目的は、「日本ではこれだけ英語に労力を費やしているのに一向に英語が出来るという成果を得られる人がほとんどいない」という極めて残念な事実を作り出している「真犯人」をあぶりだすことだといいます。
そのことのために様々な角度から多くの事例をあげながらその「真犯人」に迫っていくのですが、私が最もそれに近づいたのではないかと思えた事例をご紹介したいと思います。
それは学科としての英語についてどのように考えるかを知るためには現役の学生に聞くのが一番だとして、著者が慶應義塾大学環境情報学部の渡辺靖教授のゼミ生に対して行ったインタビュ―結果です。
ちなみに、この大学のこの学部を選んだのは比較的自信を持って前向きに英語と付き合っている学生の割合が多いはずだという推定があったからだと思われます。
著者にとって最も印象的だったのは、彼らの多くがやりたいことが先にあり、そのために英語をはじめ外国語が必要なら勉強すればいい、ただそれだけだと思っていることでした。
つまり、このゼミ生の多くが、「はじめにやりたいことありき」あるいは「はじめにテーマありき」で行動しているとみて取れたのです。
これは、文科省をはじめ大人たちが「英語を学べ。いつか必要になるのだから」という「はじめに英語ありき」であるのとは対照的です。
しかも、次の質問に対する回答結果が非常に示唆的です。
Q:英語は何年生から教えるべきだと思うか?
A:「小学生から:9人」「中学生から:4人」「高校生から:5人」(著者としては「高校生から:5人」もいたことが最も意外だったようです。)
具体的なコメントとしては、
「高校までは、ものの考え方や論理を教える。数学などをちゃんと教える。英語はその後でいい。」
「高校に入るまでは洋楽や映画などでたっぷり触れておいて、文法や読解などは高校三年生の一年間でがーとやった方が身につく。」
「始めるのは中学とも高校とも限らない。英語を学ぶ必要性が最初にあって、伝えたい、だから勉強する、という流れがいい」
「なんで英語を学ぶのか、中学生の時は分からない。先生から言われるからやっていた。受動的だった。でも必要があれば、その時に一生懸命にやる。」
これらのコメントから見て取れるのは、「必要になれば短期間でできるようになる」ということが彼らの考えの根底にあることです。
そして、そもそも「全員が英語を英語をやる必要はない」とすら思っていることです。
ただ、日本の国家戦略として「一人でも多くの英語が出来る日本人を育成したい」と思うのであれば、その「必要性を感じる」ように学生を動機づけ、分母を大きくすることができる教育を「英語教育」自体を行う前に施すことが重要であるということになりそうです。
極端な話、高校まではそのような「目的教育」を施して、一人でも多くの学生に「英語を学びたい」という気持ちを持たせ、そのような気持ちを持ったならば、圧倒的な効率性をもって英語を学ぶことのできる機会を例えば大学などで提供する仕組みを作ることで十分ではないかということです。
結果、「日本人が英語をできなくする真犯人」は、英語無しでも生きていけてしまう日本社会そのものであり、もっと言えば、そんな中でも「なぜ英語が必要か」を学生の心に響かせることができるような「目的教育」を施すことができない英語教育制度にあるというのが著者の結論のようです。
そして、「やる気のある人」に対して英文法を最短二泊三日で習得可能にする「文法講座」そして、英語だけで生活をする「国内留学」環境を提供するこの私もそのことに100%同意します。