あした死ぬかもよ?
2020年3月16日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
先日の記事でフィリピンの「タール火山噴火」についての記事を書きました。
そして、私はその記事の最後に次のようなことを書きました。
「私たちは、与えられた条件の中でできる地道な努力の機会を与えられた中で精一杯生きなければなりません。」
そこで、少し前にご紹介した「社長って何だ!」の中で著者である丹羽宇一郎氏が、
「毎日のベストジャッジの積み重ねが、自分が死ぬときに後悔しないための生き方である」
という、社長としての生き方を超えた人間としての生き方を示されていたことを思い出し、もう少しこのテーマについて深く考えるため、本書において著者が紹介していた「あした死ぬかもよ?」という本を読んでみました。
著者が、「社長」という立場に身を置いても決しておごらず、本来あるべき形を貫き通すことができたその背景には、いったいどのような考え方があったのか、それを本書を読むことで、なんとなくつかむことができました。
以下に私が推測するその考え方の基礎を本書から要約したいと思います。
「『僕らは100年度この地球にいない』つまり、私たち人間は得たものをすべて手放す日が確実に来るという真実さえしっかり認識しておけば、人生における重要なものの優先順位を付けられ、その順位に従って実際に大切なものを大切にする生き方ができる。そして、おそらくその優先順位が最も高いものは、『本当は自分はこうしたい』という心の声にのみ従って、その時その時の決断をするということ。その積み重ねによって死ぬときに絶対に後悔しない生き方ができるということ。」
財産をいくら蓄積しても、死んだらあの世に持っていけません。
ではこの世でそれを使ってやろうと思ったって、自分の胃袋以上に食べれば糖尿病になるだけで、意味のある贅沢などたかだか知れています。
この真実を認識せずに、これらの優先順位を高めた生活の果てには、必ず「後悔」だけが残るということをまず知るということ。
そして、昔の侍が「自分の限られた命をどのように使うか」を考えたように、私たちも自分自身の命の使い方の優先順位付けをすることで、「死ぬときに絶対に後悔しない生き方」につなげることができる。
なぜ、丹羽氏がこの本を私たちに自著の中で進められた理由がよく分かりました。