もう一つの「辞書」の物語
2022年5月4日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
先日、メル・ギブソンとショーン・ペンというハリウッドの名優二人のダブル主演映画「博士と狂人」を見ましたのでご紹介します。
この二大スターをぜいたくに使ったこの映画のテーマは「辞書の編纂」という非常にマイナーなテーマです。
だいぶ前になりますが、この「辞書の編纂」というマイナーなテーマでありながら、その魅力を存分に明らかにしてくれた「舟を編む」という日本映画をご紹介したことがあります。
そのブログの中で私は、
「この映画は、ある出版社の寄せ集め編集部が、気の遠くなるような歳月をかけて『大渡海』という二十数万語が収録された新辞書作りに挑む姿をユーモラスに描いたものです。」
と紹介しています。
確かにこの「大渡海」の編纂は気の遠くなるような大事業ではありますが、世界にはそれよりももっと「広い」範囲で、なおかつもっと「深く」掘り下げた辞書が存在しています。
それは1857年に開始され実に70年という時間をかけて完成した「オックスフォード英語辞典」です。
ちなみにこの辞書に対してウィキペディアには次のような説明があります。
「この辞典は古今東西の英語の文献に現れたすべての語彙について、語形とその変化・語源・文献初出年代・文献上の用例の列挙・厳密な語義区分とその変化に関する最も包括的な記述を行うことをその特長とする。ギネスブックによれば、約600,000語を収録するオックスフォード英語辞典は世界で最も包括的な単一の言語による辞書刊行物である。そのうち発音を記載した項目は139,900、語源を記載した項目は219,800、用例の引用を記載した項目は2,436,600である。ボランティア方式により、多くの用法、意味などの収集に成功した。」
この辞書の編纂に70年もの歳月がかかったのは、「古今東西の英語の文献に現れたすべての語彙について、語形とその変化・語源・文献初出年代・文献上の用例の列挙・厳密な語義区分とその変化に関する最も包括的な記述を行う」という壮大な目標に対して、限られた人員とリソースでそれを実現する方法が見つからず、成果が上げられない期間があったことも大きな理由です。
その期間は具体的には、1857年の開始から1879年の22年間です。
この停滞期を経て、この事業にブレークスルーをもたらしたのは、正式な高等教育を経済的な理由から受けられなかったにもかかわらず、自らの好奇心を頼りに独学で言語学博士になったスコットランド出身の異端のジェームズ・マレーです。
1879年にこの事業の中心人物に任じられたマレーは、上記のような長期間の停滞の原因である人員とリソースの不足という問題を、語形とその変化・語源などが書かれた文献の発見への協力を幅広く一般人に求めるという「ボランティア方式」によって解決しました。
これはまさに現代で言う「オープンソース」の先取りでしょう。
そのボランティアとして最大の貢献をしたのが、エール大学医学部出身の元エリート軍医でありながらアメリカ南北戦争でのトラウマから精神を病み、殺人罪で刑務所に服役していたウィリアム・マイナー(冒頭写真)です。
この映画は、「オックスフォード英語辞典」という世界で最もアカデミックで重厚な著作物が、実は出自や経歴においては決して「正統」もしくは「正常」ではない二人の大いなる勤勉さと犠牲があってはじめて完成したということがよく分かる内容になっています。
よくぞこのマイナーなテーマをここまでメジャーな形で取り上げてくれたと本当にうれしく思います。