「多様性」の本来的意味合いについて
2023年11月23日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
今ほど「多様性」が重要だと叫ばれる時代はなかったかと思いますが、私としては昨今の世の中で一般的に認識されている「多様性」の概念に対し、何とも言えない違和感を持っています。
そのことについて改めて考えさせられるようなニュースが産経新聞の記事にありましたのでご紹介します。
「進学校として知られる東京都立国立高校(国立市)で今秋、クラス替え問題を巡る『騒動』があった。同校は卒業まで一度もクラス替えをしない『持ち上がり制』を採用しているが、令和5年4月1日付で新たに着任した宮田明子校長が、来年度に入学する学年からクラス替えを導入する方針を発表。卒業生の一部や在校生からも反発が相次ぎ、結局立ち消えとなった。」
この国立高校は、我が母校一橋大学と同じ国立市にあるので、この学校が全都立高校の中での偏差値ランキングで日比谷高校に次ぐ第二位という大変な進学校だということは知っていましたが、まさか三年間一度もクラス替えがないというこの事実についてはこのニュースで初めて知りました。
記事の引用を続けます。
「国立高では(三年間一度もクラス替えがないという特徴的な方針に加え)制服の指定はなく、文化祭や体育祭などを併せた恒例行事『国高祭』では企画・運営の主体を生徒が担うなど、自主性を重んじる校風が特徴だ。だが、10月上旬に行われた入学希望の中学生とその保護者向け説明会で、宮田校長が来年度に入学する学年からクラス替えを行う方針を通知。在校生はもちろん、教員も一部を除き、事前に相談はなかったという。産経新聞の取材に対し宮田校長は『(クラス替えがないことで)つらい立場の生徒がいると一部の教員から相談があった。伝統は素晴らしいものだが、それによって苦しむ子供たちがいるというのはよくない』と、理由を説明。事前に諮らず発表したことについては『閉塞(へいそく)感を感じる生徒に周りも気づいていなかった。生徒の人間関係に関わる部分を、生徒自身に決めさせるのは酷だと判断した』と語った。これに対し、卒業生の有志らは『自主性を尊重する伝統なのに、事前に生徒に相談もせず学校側が決めるのは問題だ』と異議を唱え、生徒の意思を尊重した形での解決を求めてOBら約1800人分の署名を提出した。関係者によると、在校生も独自に署名を集め、全校生徒約1千人のうち6割以上が署名に参加したという。学校側は今月8日、在校生と意見交換を行い、宮田校長は『課題に向き合おうとする生徒たちの姿勢を真摯(しんし)に受け止めた』として、クラス替えの導入を撤回。生徒と教員が協力しながら『クラス内でつらい思いをする生徒を出さない方策』を考えていくことを約束した。」
実際の国立高校のウェブサイトでの告知内容はこちらです。
「10月7日(土)の学校説明会で、『クラス替えに向けた課題を検討中』とお伝えしましたが、国立高校では、今後も『3年間クラス替えなし』を原則としていくこととなりました。3年間同じクラスだからこそ育まれる深い人間関係のなか、互いに思いやりをもって接し、切磋琢磨することで、個性や多様性の尊重を学び、真の人間力を磨く全人教育を、今後も推進していきます。」
冒頭にも触れましたが、「多様性」の名のもとに世の中の大きな流れに逆らうものをことごとく否定する昨今の風潮に、私としてはかなり大きな違和感を感じていたところでのこのニュースは、伝統(変わらないこと)を重視すること自体もその組織の個性であり、それも尊重されるべきだとする「多様性」の本来的意味合いを鋭く突くものだったと思います。
特に、このケースでは校長という権威が、卒業生を含めた学生の主張に納得して、一度公にした決定を翻したという事実、そしてその権威による決定はそもそも「クラス内でつらい思いをする生徒を出さない方策」といういわゆる世の中の主流であり誰もが否定しづらい「正論」によってなされたにも関わらず、その翻意がなされたという背景から、その本来的意味を再確認させてもらった気がします。
ここから明らかになるのは、国立高校が伝統を重視するという独特の考えを守ることを優先し、クラス内でつらい思いをする生徒へのケアをある程度犠牲にすることを容認するという決定をした事実と、そのことが認められることこそが「多様性」の証であるということです。
つまり、多様性とは本来的に「犠牲」を前提とする厳しい考え方でもあると。
宮田校長は、その基本的方針の中でいかに「クラス内でつらい思いをする生徒を出さない」かを模索していくということを決めたということです。