最強の生産性革命
2019年10月30日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
少し前に竹中平蔵教授の「平成の教訓」をご紹介しました。またかなり前になりますが、彼の慶応大学時代の教え子であるムーギー・キム氏の「一流の育て方」をご紹介しました。
今回ご紹介するのは、この二人が、今の日本においてタブーとされている「低生産性」の元凶に対して切り込んだ本音の対談をまとめた一冊です。
その元凶とは「既得権益」にほかならず、論理で行けば絶対にその処方箋は書けるはずなのに、この国においてはそれができないでいるのはなぜか。
それには、「悪の根源」の存在に大衆が気づくことであるという信念から、「既得権益」を持つエスタブリッシュメントからの攻撃を覚悟で臨んだものです。
本書を読んで、日本のあらゆる組織において「既得権益」を持つエスタブリッシュメントが守りたいものとは、「リーダーシップ」のあり方ではないかと強く感じました。
それを強く感じた部分を以下に引用します。(一部加筆修正)
「日本の企業や組織では、誰が最終的な責任や権利を持っているのかよく分からない。ただし、みんな無責任というわけでもない。それなりに責任意識は持っているのだが、最終責任者ではないという自覚もある。つまり非常に中途半端なのだ。これについて面白いエピソードがある。ハーバード大学のアジア研究で知られるエズラ・ヴォ―ゲル教授が日本のビジネスマンがよく言う『わが社』という言葉は非常におかしいと。『お前は社長なのか、ただの雇われ社員じゃないか(笑)』と。しかし、日本人ならこの感覚はちょっと分かる。『わが社』と呼ぶのは逆に会社が誰のものなのか分からないからだ。他人の家に行って、『わが家』とは言わないように、オーナーが明確なら『わが社』なんて絶対に言わないからだ。これは江戸時代の藩と一緒だ。藩はお殿様が所有しているわけではない。下級武士もお殿様に対して忠誠は尽くしているけれども、同時に藩を自分が背負っているような気分になっていた。それだけ参加意識が高かったと言える。これには、オーナー以外が主体的に考えるといういい面もある。しかし、一度うまくいってしまうと、それを絶対に変えようとしなくなる。参加意識や忠誠心は高いけど、最終責任者が曖昧だから、大きく変えるリスクをとる人がいない。ところどころで不具合が生じてもなんとなくうやむやになって、長期的視野でリスクをとって変えていこうという人が出てこない。これは組織の生産性の低さとすごく関係していると思う。」
見事な日本人論だと思いました。
1980年代にアメリカの自動車産業に対して日本の自動車産業が圧倒的に有利な立場を確立できたのは、「良い車を作る」という明確な目的があった上で、この「参加意識」がうまく働いたからという説明にものすごく大きな説得力を持たせるものだと思いました。
逆に言えば、「良い車を作る」ことではなく、「新しい車の存在」を見出す必要性が問われているように、明確な目標が与えられていない現在においては、「参加意識」ではなく「最終的な責任感」を持つオーナーによる「リーダーシップ」こそが必要とされているということです。
もはや、誰かの背中を追うというような姿勢が許されなくなった日本人は、中途半端な「リーダーシップ」という心地よさを捨て、「責任」を合わせもった「リーダーシップ」へ切り替える必要に迫られています。
その際に、オーナーの「責任」と併せて、オーナー以外の構成員の「参加意識」という日本人の良さを失わなせない仕組みを作ることが可能となれば、日本の「生産性」は計り知れない向上を見せるはずです。