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虚数はなぜ人を惑わせるのか

2024年5月22日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回ご紹介した「科学するブッダ」では、「仏教」と「科学」の共通点について詳しく見ました。

その本の中で次のような記述がありました。

「(量子力学には)ニュートン力学や相対性理論のように、全体をもれなく記述するための数学的体系がどうしても見つからない。科学者たちが集めてくるいろいろな実験結果を一つ残らず矛盾なく説明できるような数学的法則に集約できないのである。今になって振り返れば、その原因は新しい量子の世界を記述するためには新しい数学が必要であったのに、それを旧来の数学で書き表そうとしていた点にある。虚数i、すなわち二乗すると-1になるという数の概念が生み出されていない時代に方程式の根の公式を求めるようなものである。どうしても途中で行き詰って、それから先、何をしたらよいのか分からなくなってしまう。虚数iという概念が生まれ、それを扱うための数学的規則が確立して初めて、代数方程式は我々のコントロール下に入る。それと似た状況が1910年から20年代の半ばまで続いたのである。」

ということになるとバリバリの文系人間で「虚数 (imaginary number)」なるものの存在自体本書で初めて知った私は、すかさずこちらの本をアマゾンでポチったのでした。

虚数はなぜ人を惑わせるのか」(副タイトル:世界一わかりやすい虚数の教科書)

以下、本書について書いていきたいと思います。

まずこの「虚数」なるものの定義としては、上記の通り「二乗すると-1になるという数」ということなのですが、私たちの感覚からすれば、実際に存在する数という意味での「実数」に対して、このような数を「虚数」、すなわち「虚(うつ)ろ」な数と名付けたということからも、普通の生活上、私たちには関係のないものだろうという感覚は当然に持ってしまいます。

本書ではまず、冒頭にてこの私のこの「感覚」に対して次のようなダメ出しをしてくれています。

「たとえば『7』という数はリアルだと思っても、『7を持ってこい』と言われたら手のひらに載せて見せることができるでしょうか?7個のリンゴは見せることができても、『7』という数字はモノでも人でもありませんから、7そのものを見ることなどできないのです。だとしたら、リアルに思われる実数にしても、しょせんは具体的なモノや人に付随して使われる抽象概念であり、虚数だけを不審者扱いするのはかわいそうではありませんか。そもそも、数字、そして数学の役割とは、モノそのものを表すことではなく、モノとモノの間の『関係性=コト』を表すことにあるのです。」

言われてみればその通りかと。

というのも、私たちは成長するのに従って、まずは何もものを数える手段を持たない赤ちゃんの段階から、「1」「2」「3」という「自然数」の概念を獲得し、これにゼロやマイナスという概念を教わって「整数」、続いて整数の間の「小数」もしくは「分数」、それらをもって表現できないものを表すためにルートやπなどを使って表す「無理数」、という具合に、「必要に応じて」、数の概念の理解の範囲を拡大してきました。

各段階で初めてそれら知る前は、今回、「虚数」に対して持ってしまったのと同じように「普通の生活上、私たちには関係のないものだろう」という感覚を当然に持っていたはずなのです。

今回は、その数の概念の理解の範囲をもう一段階広げるという機会を与えられたと理解すべきだと解釈しました。

そこで一番大事になるのが、今回の「必要に応じて」の「必要」は何なのか、ということだと思いますので、本書より該当部分を引用します。

「虚数なんていらないと思っている方には大変申し訳ないのですが、もしも世界から虚数が消えたなら、パソコンもスマホもタブレットもさらには、半導体を使っている製品はことごとく消えてしまいます。なぜなら、『半導体』の電子のエネルギーは量子力学の計算で設計されて決まってくるものであり、量子力学の方程式には『虚数が入っている』からです。つまり、虚数がなければパソコンもスマホもなくなるということです。さらに言うならば、量子力学がなくなると、原子の周りの電子が軌道を保つことができなくなって、原子がつぶれてしまいます。地球も人間も原子からできているので、そうなるとこの宇宙のあらゆるものが潰れてしまいます。こうなると、虚数なんて想像上の産物さ、なんて暢気に構えていられなくなりますよね。よく、いなくなって初めて大切な人だったことが分かる、なんてことがありますが、虚数は、宇宙が消滅するくらい大切だったんです。」

著者のおかげで、虚数の「必要性」については自然数、整数、小数、分数、無理数などと同様に非常に実感をもって理解することができました。

ただ、今までの自然数、整数、小数、分数、無理数までは確実に実感をもってその「本質」を理解できていたのと異なり、今回の虚数については、著者の非常に分かりやすい説明にもかかわらず、その「本質」までの理解に「実感」が伴ったかといわれると、残念ながら「虚(うつ)ろ」な部分がかなり残っていると言わざるを得ません。

それを乗り越えてこその成長ではあるのですが、今まだ乗り越えられていない感覚がしぶとく残っているわけです。

本書には私にもそれをいつかは乗り越えられる時が来るのではないか思わせてくれるエピソードが書かれていたので、それを引用して自分を慰めたいと思います。

「0(ゼロ)はインドで3~4世紀に初めて使われるようになりました。(0の発見)それ以前は数字を書く位置が変わると値が10変わると考えられていました。しかし、0がないわけですから桁が上がるたびに1だけ左へ左へとズレていきました。すると、ズレる前に1があったところは『空き地』になります。でもそこは空き地だと示さないとズレているのかズレていないのか読み取れず、桁を間違ってしまいます。そこでいつしかそこが空き地であることを示すために点や丸を書いて明確化するようになりました。そうしているうちに、その点や丸が実に便利な存在であることにインド人は気づきます。そしてある時に、『何もないところに何か書くなんて』という心理的ハードルを超える日を迎えます。そして、空き地を示す記号だったものを『0』として他の数字と同じ位置に引き上げたのです。こうやって書いてしまうと0が短期間のうちに誕生し、受け入れられたようにも感じられますが、実際には数字に長けていたインド人ですら、0を受け入れるまでに大変な時間がかかったのです。」

今後時間が経過し、世界中の人々の大半が「虚数」の本質の理解が実感を伴うところまで行ったら、もしかしたら「虚数」という名前を返上し、「実数」の仲間入りを果たした上で、何か別の名前を付けられるということなのかもしれません。

 

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