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AI時代に「頭がいい」とはどういうことか

2019年1月27日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

以前にAI時代の世界について考えるために「AI時代のベーシックインカム論」という本を読み、本ブログに記事を書きました。

その中で、今後の世界がAIの存在なしには考えられないものとなり、人間はその好き嫌いに関わらず、AIが大部分作り上げる社会の中で生きるしかないという現実を突き付けられました。

しかし、そうは言ってもすべてをAIに委ねてしまったら、それは映画「ターミネーター」の世界になってしまうわけで、どうしても最終的なコントロールは人間が行わなければなりません。

AIが大部分を作り上げる時代にAIをコントロールする人間は、それこそ「頭がよく」なければならないのですが、その「頭がいい」というのはどういうことかについて考えてみたくなり、本書「AI時代に『頭がいい』とはどういうことか」を読みました。

本書ではまず冒頭に、チェスでは1997年に囲碁では2016年に人間はAIに敗れた事実をあげ、これをもって人間の脳はAIにかなわなくなったとするのは早計だと指摘しています。

なぜなら、これらの結果はあくまでもチェスや囲碁という限られたルールの中での「計算」と「記憶」の勝負であり、その前提で考えれば、電卓が発明された時点で人間はすでにその心配をしなければならなかったことになりますから。

車と人間が競争することに人間が興味を持たないように、人間同士が競い合うことに人間は興味を持るのです。ただ、その人間同士の競争にAIが協力して、よりレベルの高い人間同士の競争というものを演出することはできるということです。

つまり、この問題の本質は、AIと人間の力の範囲の問題だということになります。

AI時代における「頭がいい」ということは、この範囲を意識した上で判断されるべきことだと理解する必要があります。

本書ではAIについて以下のようにとらえられています。

「現在のAIシステムは人間の脳の神経ネットワークの機能をまねて作られた。中でも今注目されているディープラーニングは、そのネットワークを駆使することで、物事をより正確に認識・判断していく学習法のことだ。そういうと自ら考えて決定しているように思ってしまうが、人間がAIに指示し、何かの例を与えることで、AIはデータのパターンを独自に分析し、データの蓄積をする。それに基づいて物事を学習していることに変わりない。だから多くの例を与えるほど、AIは賢くなる。つまり、AIは与えられたデータの分しか賢くならない。これは、分析内容を理解しているわけではないので、応用が利かないということを意味する。因果関係と相関関係の違いを識別できないということだ。」

このことを前提に考えてみると、今後、AIは継続的に入力され続けていくデータによって、賢くなり続けることでほぼ完璧に「成果物」を作り上げていくことになります。

ただし、それらは「予定調和」の中での成果物に過ぎません。

ですから、これからの世の中には「予定調和」の範囲に収まる成果物がものすごい勢いであふれることになると考えられます。結果、そこには人間の根本的な欲求である「刺激」が不足していきます。

この「刺激」は、「予定調和」を「いい意味」で崩すことによってのみ作り出されることになります。

そして、その予定調和をいい意味で崩すためには、その生産主体が「相関関係」をデータとして取り込むことではなく「因果関係」を「理解」することでしかできません。

つまり、相関性からだけでは「合理性がない」と判断されるようなことを、「なぜ」を解き明かすことで自信をもって実現することです。このことは、AIには絶対にできず、人間にしかできません。

AI時代には、AIが出す「こうなります」という答えではなく、「なぜ」そうなるのかを理解してそれを実現することが重要になるはずで、人間だけができるその実現能力の程度が高いことが「頭がいい」ということになるのだと思います。