「子ども英語」から「大人英語」への飛躍
2014年11月23日 CATEGORY - 日本人と英語
先日、「『教えない』英語教育」という本を書籍紹介ブログにて紹介しました。
その中で最も印象深かったのが、「子ども英語」から「大人英語」への飛躍の難しさという観点です。
そのブログの中でも少しだけ触れましたが、「子ども英語」すなわち決まり文句を覚えるだけの「九官鳥英語」から「大人の英語」への橋渡しに成功するために必要な要素が「必然性」と「リアリティ」で、この二つをいかに英語学習に取り込むことができるかが全てだという著者の主張についてここでは詳しく見てみたいと思います。
まず、なぜ「子ども英語(九官鳥英語)」と「大人の英語」がスムーズにつながらないのかということを明らかにしなければなりません。
10歳を超えると、人間は論理的に分析し、類推・比較し、まとめる力といった抽象的思考能力や文章構造や文章の流れをつかむ認知能力を発揮できるようになります。
それに伴って、「自我」が芽生え、それまでのように無邪気にのびのびと自己表現することを恥ずかしがり、他人の目を気にするようになります。これが高学年になると「ノリ」が悪くなる原因です。
この「ノリ」の悪さをどうしても避けることができないので、どれだけ幼児教育に時間とお金をかけても、ほとんどの場合、「子ども英語(九官鳥英語)」で終わって、それ自体も使わないから結局、ゼロに帰すことになります。
そう考えると、どうせ高学年になれば「子ども英語」がゼロになってしまうのだから、子供の時は母語を活用して「抽象的思考能力」を高めることに時間とお金をかけたほうが正しい選択だということになります。(それでも著者は既に始まってしまった小学校英語の枠内の中で、「子ども英語」から「大人英語」への橋渡しをできる限り効果的に行おうとして奮闘されている事例をあげられています。)
その上で「大人英語」を身に着けるためには、「抽象的思考能力」をどう英語に結びつけるかを考えなければなりません。
その答えが、英語を学ぶことの「必然性」と「リアリティ」だと著者は言います。このことについて、私は実体験を伴って理解をしていますので、その話をしたいと思います。
私の英語との出会いは本当に素晴らしいものでした。それは、中1年と2年の二年間にわたってK先生に学んだからです。
K先生の口癖は「英語はね、通じればいいんだよ~」でした。
そして、テストの中で一番重要な部分は「英作文」であるとことあるごとに言っていました。「英作文ができるってことは英語ができるってことなんだよ~」という言葉を今でもはっきり覚えています。
そして、一番印象に残っているのが、月に一回発行される「学年便り」の裏に「英訳版」を先生自ら手書きで書いて印刷してくれていたことです。
私は、学年便りを英語にしてしまうという、「コミュニケーションツール」として英語を自在に操るK先生を「かっこいい」と思いましたし、手っ取り早くいい点数が取れるような教え方をしてくれる人気の先生よりも「実力がある」先生だと思って尊敬しました。
なにより、先生のその行動に、英語を「受験のツール」としてだけではなく、「コミュニケーションツール」としても存在するのだという「必然性」と「リアリティ」を感じました。
まさに、「英語はね、通じればいいんだよ~」を直に理解したということかもしれません。
「学年便り」には学年にとって必要な情報が日本語で書かれています。それを英訳するということは「英作文」を行うということで、そのことがまさに英語を「コミュニケーションツール」として活用することなわけで、「必然性」と「リアリティ」を英語学習に取り込むことをK先生は24年も前に行っていたということです。
私の「道具としての英語」との出会いはアメリカ留学の時だと思っていたのですが、よくよく考えてみると実はこの時だったのではないかと思い直すようになりました。逆に言えば、それから8年後、アメリカ留学時に「使える英語」の重要性に気付けたのも、このことがあったからこそかもしれません。
日本の学校教育において小学校英語を行うことがもう止めることのできない既成事実だとするのであれば、なんとか、英語教育の中に「必然性」と「リアリティ」を盛り込むことで「子ども英語(九官鳥英語)」から「大人の英語」への橋渡しとして意味ある時間としていただきたいものです。