日本人と英語

英語の達人(1)杉本鉞子

2024年5月8日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語達人列伝Ⅱ #313」では全部で8名の英語達人が取り上げられていますが、その中から今まで私のブログの中で紹介している方や、あまりにも有名すぎてここで紹介する必要性を感じない方を省いたうえで、特にここでご紹介しておく必要があると私が個人的に感じた4名を選んでご紹介しようと思います。

第一回目の今回ご紹介するのは「杉本鉞子(すぎもと・えつこ)」です。

文芸創作という活動はたとえ母語を用いたとしても読者を魅了するレベルでそれを行うことは至難の業で、それが外国語で、しかも随筆や詩などと言った短いものではなく、長編小説として海外で出版した経験のある日本人はおそらく彼女だけだろうというのが著者の見立てです。

杉本鉞子に関してはその名前を聞くのも本書が初めてでしたが、そのような事実を知ってしまったからには、彼女がそのような英語力を身に着けるに至った経緯に関して興味が湧かないわけがありません。

以下、彼女の生い立ちからいかにして英語母語話者をも虜にするような長編英語小説「武士の娘」を出版するまでの流れをまとめます。

(ちなみに、この「武士の娘」はこのブログでもすでにご紹介している最も有名な日本文化論であるアメリカの人類学者ルース・ベネディクトの「菊と刀」に日本人が英語で書いた著作として、新渡戸稲造の「武士道」などとともに多く引用されているものです。)

彼女は1872年に旧長岡藩筆頭家老稲垣平助の六女として生まれ、六歳の時に四書(大学・中庸・論語・孟子)を学んでいる。ただ、武士だった父はいくつかの商売を営むが失敗し、多額の借財を背負って49歳で他界する。その後、長兄の央(なかば)がアメリカで一旗揚げようと渡米するがこちらも当てが外れ、路頭に迷うが彼の地で商売をする杉本松之助に助けられたことをきっかけに、杉本と妹である鉞子の縁談がまとまる。

央は、渡米前の鉞子に英語を学ばせようとまずは東京の華族女学校に入学させたが、日本人教師による英語教授に満足せず、数か月後にはミッションスクールに転入させた。そこで英文学作品を時間を忘れて読み漁る日々が始まるのだが、ただ注目すべきは、彼女が最初に読み始めたのは原書ではなく翻訳だった。翻訳本を読み込んだうえで、原書を読むことによって、文章の奥にある考え方を深く理解できるようになったのではないかと著者は分析している。

実際に、英語長編小説「武士の娘」には以下のような見事な英文で当時彼女が原書と格闘していた様子が描かれている。

I would bend over my desk,hurrying,guessing,skipping whole lines,stumbling along-my dictionary wide open beside me,but I not having time to look-and yet, in some marvellous way, catching ideas.(机の上に身をかがめ、先を急いだり、意味を推し量ったり、数行丸ごと読み飛ばしたり、躓いたりしながら読み進め、辞書はそばに大きく広げてあるのだが、それを見る暇もなく、それでも不思議なことに、何が書いてあるかがつかめるのだ。)

その後も、原書と翻訳を合わせて読み進める英語学習を進めていったようで、これこそが、日英両言語を絶えず往来することで高度な言語感覚が養われることの証明にもなっていると思われる。

そして、26歳の時にいよいよ杉本松之助との結婚のために渡米する。驚くべきはこの26歳という取り立てて若くない歳に初めて英語圏に渡った彼女が、のちにアメリカ人の興味を引く文芸的英文を次々に発表することになるという事実だ。

1898年、松之助の初めて顔を合わせた鉞子は新婚生活を始めることになるが、この時から生涯の友人となるフローレンスが生活全般の世話をしてくれることになる。彼女は、シェイクスピアを中心として英文学に造詣が深く、鉞子は彼女に伴って英語による文芸に親しみむことになる。

その後、鉞子は文章を英文で紡ぎ、その文章をフローレンスが添削することを繰り返し、その文章を地元新聞に寄稿するようになる。それによって彼女の英文センスはどんどん向上していくことになる。

1909年、日本への一時帰国中に夫松之助がなくなり、1916年に再び渡米し以前にもまして精力的に執筆・寄稿活動を行う中で、日本の生活を紹介した文章を「武士の娘」というタイトルで雑誌「アジア」に10回にわたって連載。1920年にはコロンビア大学にて日本人女性初の日本文化史の非常勤講師となる。そして、1925年には「武士の娘」がダブルデー・ドーラン社から出版されて人気を博し、ドイツ語、フランス語など世界7か国語に翻訳出版されることになる。

以上が杉本鉞子の「武士の娘」出版までの軌跡ということになります。

彼女のこのような英語との関りから理解すべきこととしては、日本人の英語習得、特に英語母語話者をもうならせるような高度で深みのある英語を身に着けるためには、「英語だけで生活をする」という経験だけでは足りず、その上で「日英両言語を絶えず往来する」という要素が決定的に必要となるということではないでしょうか。

私は、自身がそのことを理解するとともに、英語を飯の種にする者として、彼女の存在を知ることは必須事項であったなと感じています。

 

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