日本人と英語

英語の達人(2) 勝俣銓吉郎

2024年5月9日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語達人列伝Ⅱ #313」で取り上げられている8名の英語達人の中から特にここでご紹介しておく必要があると私が感じた4名を厳選して順番にご紹介していますが、第二回目の今回ご紹介するのは「勝俣銓吉郎」です。

勝俣銓吉郎は、専門的な英文を書く上で必要不可欠と言われる研究社の「新和英大辞典」と「英和活用大辞典」の二冊の辞書を作り上げ、その業績によって英学者として初めて紫綬褒章を受章した方です。

そんな大英学者のプロフィールで特徴的なのは、彼が実家の経済的事情により小学校以外での公教育を受けられていないという点にあります。

以下、彼の生い立ちから最終的に大英学者と評されるようになるまでの流れをまとめます。

彼は、1872年に現在の神奈川県箱根町で伊勢屋という旅館を営んでいた勝俣清左衛門、リキ夫妻の長男として生まれた。物心つく頃にはすでに旅館の経営が傾いており、家計を助けるため、13歳の時、小学校の卒業を待たずに横浜に出て、郵便局員の採用試験に合格、横浜郵便局に勤務することになる。

郵便局勤務の傍ら夜学に通いながら、バーンズの「ナショナル・リーダー」やスウィントンの「万国史」を読んだ。また、ブリンクリーの「語学独案内」の例文は暗唱できるくらいに精読したという。さらにミッション・スクールである横浜英和学校の特別生となり、ここで西洋人の手ほどきを受けたことがだいぶ英語の上達に貢献したと回想している。

郵便局に勤務して10年以上がたった1896年に、冒頭で言及した彼の運命を大きく変える出来事として、N.G.Cholmeleyなるイギリス紳士と話をする機会に恵まれた。チャムリーは苦学生の勝俣にいたく同情し、多額の学資を出してくれ、そのおかげで仕事を辞めて英語修行に専念することができるようになる。チャムリーの厚意にも驚きだが、勝俣の英語がよほどに優れ説得力があったことの証明だろう。

郵便局を辞職して上京した勝俣は、国民英学会の正科、続いて英文科に進学し、本来一年在籍しないと卒業できないところを7か月で卒業する。卒業後、しばらく母校英学会で教鞭をとったが、設立間もないJapan timesに就職する。そこでは、英文記者として英作文の実地訓練を積むことになるが、この体験こそが「実社会で使われる英語」を重視する英学者として大成するもととなり、実際彼自身をして「私の本当の母校はジャパンタイムズ社ですよ」と言わしめている。

ジャパンタイムズで4年間勤務したのち、教職に転向し、東京府立第四中学校(現都立戸山高校)に勤務する。その理由として「ジャパンタイムズでは英文はどうにか書けるようになり、howは手に入ったが、頭が空っぽでwhatのほうが乏しかったから、比較的暇のある教職について大いに読書し思想力を養おうと思ったから」と述べている。ところが、翌年にはそこを退職し、三井鉱山に入社、当時専務を務めていた団琢磨氏の英文秘書となる。その翌年に結婚しているため、経済的な理由が大きかったと推察される。

ただ、やはり研究への思いは断ちがたく、再び教職を目指し、1906年に早稲田大学に就職し以後38年にわたり、講師、教授、そして付属の専門部や高等学院にも出講した。講義科目は英文学、英語学を含め多岐にわたったが、本領はやはり英作文教育であり、英文創作だった。

彼の英作文教育、英文創作への情熱は尋常ではなく、常に手帳を持ち歩き、「notebook habit」と称し、気になった英語表現を書き溜めていくという資料作りを生涯続ける。そのようにして生涯で集めた資料を1939年出版の「英語活用大辞典」、1954年出版の「新英和大辞典」という二つの見事な辞書としてまとめ上げた。特に、前者は「コロケーション」として扱われる語句のつながりと相性にいち早く着目した画期的な辞書である。

それらの功績が認められ、彼の死の二年前の1957年に英学者として初めて紫綬褒章を受章する。

最後に、大英学者 勝俣銓吉郎の人生を象徴する文章として彼の著作「和光集」の謝辞を引用します。

「To N.G.Cholmeley, ESQ. A tourist,whose generosity, manifested more than 40 years ago, has been of great help in the development of what I am. I dedicate this first fruit of my literary labour in his mother tongue with due reverence and in grateful and affectionate remembrance」

(N.G.チャムリー様、40年以上も前、旅行客であったあなた様から賜ったご厚情の大いなる助けにより今日私がここにあります。ありがたくも懐かしい思い出を胸に、心からの敬意をこめて、あなた様の母語でなした私の初めての文学的著作をここに捧げます。)

教育以上に投資効果の高い行為はないとあたらめて思い知らされた気がします。

 

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