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エリザベス女王と演説

2022年9月7日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

少し前(2022年7月7日)にイギリスのジョンソン首相が辞任を表明し、そのニュースを「ジョンソン英首相辞任の経緯」という記事で取り上げ、その最後を、

「今後のイギリス政治がどうなるかということですが、当面は前任者であるテリーザ・メイ氏の時と同じように、次の保守党の党首が決まるまでは彼が首相を続けると思われます。なお、ジョンソンがメイの後任に選出された時にはジョンソン氏選出まで6週間の時間を要しました。どこの国でも十分に納得のいく政治を維持することは簡単なことではないようです。」

という文章で締めくくりました。

それから約2か月後の2022年9月5日に、エリザベス・トラス前外務・英連邦・開発相(Her Majesty’s Principal Secretary of State for Foreign, Commonwealth and Development Affairs)が英国史上三人目の女性首相に選出され、翌9月6日に任命式においてエリザベス女王より任命されたという記事を書こうとしていた矢先の2022年9月8日に女王が96歳で死去されたとのニュースが飛び込んできました。

新首相任命という大仕事をこなした二日後の大往生で、文字通り英国のために最後の最後まで尽くした人生でした。

今回は、亡くなられた女王エリザベス2世の人生を「演説」というキーワードで追ってみたいと思います。

そもそも彼女はイギリス国王ジョージ6世の長女(第一子)として誕生したのですが、その父ジョージ6世はもともと国王ではなく、王位を先に継承したのは兄(長男)のエドワード8世でした。

しかし、兄のエドワード8世が1936年にイギリス王位よりも離婚歴のあるアメリカ人女性シンプソンとの結婚を選び、国王を退位してしまったことから突如自らがイギリス国王に即位することとなってしまいました。

その意味では、エリザベス女王の人生もこの時点で大きく変わってしまったことになります。

実はエリザベスの父ジョージ6世は、幼少の頃から吃音症に悩み、公式な場での演説を非常に苦手としていたのですが、必死になって吃音矯正の治療を受け、見事克服し、最終的に立派な演説を行うことができるようになった人物です。(その様子は映画「英国王のスピーチ」にも描かれています。)

こちらが英国王ジョージ6世の実際の1930年の演説(私が探した中で最も古い音源)です。

そしてこちらが1938年の演説です。

ジョージ6世が吃音矯正を開始されたのが1925年以降ということですから、1930年の時点ではかなり矯正が進んでいると思われますが、それでもこの二つを比べると国王の努力の結果がよく分かります。

このような先代の苦労を身近で感じて成長したエリザベス2世は幼いころから、英国室にとって「演説」は非常に重要なものだという認識があったのだと思われます。

彼女は、実に14歳の若さで第二次世界大戦下(1940)の世界の子供たちを勇気づけるためラジオ演説を行っています。

そして、こちらは21歳の誕生日(1947)に滞在先の南アフリカにて行ったイギリス連邦(the Commonwealth)に対して人生を捧げる旨の演説です。

続いては、1991年の湾岸戦争の際、多国籍軍側も犠牲を出す中、クウェートの解放を直前に「団結」を訴えるために行われたテレビ演説です。

このようにエリザベス女王は演説を通じて、英国民および国際社会に対して積極的に貢献する開かれた王室の象徴として受け入れられてきましたが、1997年に最大の危機を迎えます。

長男チャールズ王太子との離婚騒動を経て、恋愛を含め自由に活動する中で交通事故により亡くなったダイアナ元皇太子妃に対して、バッキンガム宮殿が国旗を半旗にしなかったことに加え、エリザベス女王が5日間もスコットランドのバルモラル城にとどまり沈黙を続けたことが王室の冷ややかな対応ととらえられ、多くの国民から批判を浴びることとなりました。

その演説においてエリザベス女王は、国民のダイアナ元皇太子妃に対する思いを過小評価していた自身の姿勢を反省し、ダイアナの名誉を回復させるべくテレビ放送を通じて哀悼のメッセージを送りました。

それにより、エリザベス女王は再び国民の信頼を取り戻すことに成功したのです。

最後に、まだ記憶に新しい2020年に行われたコロナウィルスの大流行に苦しむ国民に対して、共にこの国難を乗り越えようと訴えた伝説の演説をご紹介します。

いかがだったでしょうか。

「演説」という切り口でエリザベス女王の長きにわたる人生を見てまいりましたが、彼女の人生がいかに英国民および国際社会との信頼を築くために努力されたものだったかがよく分かります。

そして極めつけは、彼女の死が発表された直後、雨と霧の街として有名なロンドンの上空に二重の美しい虹がかかるという奇跡的な現象が起こりました。

それを見た英国民はそのことを改めて確認したはずです。

 

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