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なぜ産業革命はアジアでなくヨーロッパで起こったか

2021年7月23日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

今回も前々回前回に引き続き、「サピエンス全史」から重大なテーマをいただいて書いてみたいと思います。

取り上げたいテーマは、「産業革命」が他でもないヨーロッパで起こった理由です。

というのも、人類の歴史は本書の説明を待つまでもなく、ほとんどの期間で中国やインドを中心としたアジア勢がリードし、その存在感を示してきました。

はっきり言って、中国の歴代王朝の皇帝たちからすると長い間、ヨーロッパなど眼中になかったと言ってもよい存在だったはずです。

それが、18世紀半ばからあっという間にヨーロッパが世界をリードすることになり、現在ではずっと中国をお手本にしてきた私たち日本人でさえ、そんな時代があったことを忘れて欧米の天下がずっと前からあったような感覚にとらわれているほどです。

この明らかに世界史の潮目を変えることとなった出来事こそが「産業革命」です。

この事実は、私たちは世界史で当たり前のこととして習うわけですが、意外にもなぜこの「産業革命」がずっと歴史をリードしてきた中国やインドなどのアジアではなく、どちらかと言えば地味な存在だったヨーロッパで起こり突如として歴史の主役の座を逆転するに至ったのかについては問題提起さえされません。

圧倒的に長い期間、中国やインドを中心としたアジア勢が世界史をリードしてきたことを考えると、この疑問は湧き上がって当然なはずです。

本書にはそのことが非常に分かりやすく書かれていましたので以下、その部分を引用したいと思います。

「1750年時点ですら、ヨーロッパとアジアは一見すると対等に見えたがそれは幻想だった。二人の建築者を想像してほしい。それぞれ非常に高い塔をせっせと建設している。建築者の一人は木と泥レンガを使い、もう一人は鋼鉄とコンクリートを使っている。最初は両者の工法にあまり違いはないように見える。両方の塔が同じようなペースで高くなり、同じような高さに到達するからだ。ところが、ある高さを超えると、木と泥の塔は自らの重さに耐えきれず崩壊する一方で、鋼鉄のコンクリートの塔は遥に仰ぎ見る高さまで階を重ねていく。」

この説明の中で注目すべきは、産業革命というのがイギリスで蒸気機関が発明されたという単発の出来事によってヨーロッパが力を付けたということではないということです。

インドや中国が幅をきかせる世界の歴史の前半戦でも一時的にヨーロッパが主導権を握ったことがありました。それはギリシア・ローマ時代と言われるものです。

この時代の原動力は「論理」と「科学」です。つまり、実験を繰り返すことで技術を確実に進歩させるという考え方を社会の中心に置くという姿勢です。

ローマ帝国が滅亡して以降、この考え方は長らく停滞してしまいましたが、14世紀に「ルネッサンス」という形で復活しました。

この考え(基礎)をヨーロッパ社会が継続した結果、産業革命(仰ぎ見る高さの塔)を導くことになったということです。

その基礎がヨーロッパ社会にあったからこそ、この産業革命は最初に起こったイギリスのみならず、フランスやドイツそしてアメリカもすぐにキャッチアップできた一方で、同じようにこのことに気づいた当時の中国(清王朝)が何とかその技術を取り入れようとしても、全くうまくいかなかったというわけです。

本書でもそのことを以下のように説明しています。

「彼ら(清王朝)に足りなかったのは西洋で何世紀もかけて形成され成熟した価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造で、それらはすぐに模倣したり取り込んだりすることができないものだった。唯一日本がその例外だったのは、明治の日本人が並外れた努力を重ねることで、信じられないことに技術のみならず価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造ごと取り入れることに成功したからだ。」

ちなみに、ルネッサンスが起こるきっかけとなったのは、当時ヨーロッパ全土を襲った感染症「ペスト」によって人々が絶望的状況に陥ったことによる「復活」のエネルギーの反動だと言われます。

そう考えると、我々人類が今回のコロナ禍を乗り越えた先に、いまだに日の目を見ない新しい世界の形が、「三人目の建築者」の存在によって突如として作り上げられることを期待してしまいます。