ネット時代におけるニュースの行方 その1
2017年5月17日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
昨年末から今年年始にかけて、「ネットでニュースの問題点」、「正直者が損をする仕組み」と立て続けに二回、ネットの世界で現在進行形で起こっている問題について取り上げました。
これらのことについて、体系的に説明をしている文章はないものかと、ネット上を探しましたが、やはりどれも上記の記事の中でも触れたように、「表面的」な記事ばかりでした。
ですが、2017年1月20日にまさにその問題を解決してくれそうな書籍が発売されたのでご紹介します。
「ネットメディア覇権戦争~偽ニュースはなぜ生まれたか~」という本です。
これこそが、ネットの仕組みでは発揮することができない「信頼性の高い情報」と言えるものでした。
まず、この本から得た有益な情報は、そもそもなぜ、ネット社会になって「ポータル側」「新聞テレビ側」「閲覧側」の三者の問題が、ここまでアンフェアでアンバランスなものになってしまったのかという歴史的説明でした。
少し長くなりますが、以下、その歴史的流れを抜粋します。
ネット以前、新聞などのマスメディアは、取材、編集、ニュースの価値判断からそれらを読者に届ける独自の販売網を支配していたため、ニュースが多くの人に伝わるためには新聞などのマスメディアに取り上げられる必要がありました。
ネットが登場すると、マスメディアはニュースの制作を担い、ニュースの価値判断や読者に届ける役割をヤフーなどのポータルサイトが担うようになりました。つまり、ポータルサイトはプラットフォームに徹していたのです。
このポータルサイトがプラットフォームに徹するという姿勢と、ポータルサイトからのメディアの独自サイトへの膨大なアクセスがあったからこそ、一見不公平に見えるヤフーのタダ乗り的なことをマスメディアが許してきたのです。
その後、ニュース記事の製作は、ネットのニュースサイトやブロガーなどの個人に拡大していきました。また、はじめはニュースを作らなかったヤフーも、オリジナルの記事を提供するようになり、プラットフォームが、メディア化していったのです。
つまり、いままでマスメディアがポータルサイトのタダ乗りを許してきた理由のうちの一つが消滅したのです。ここから、マスメディアの存在感は、急激に低下していきました。
この流れを強めたのは、実は世の中には、「ざっくりと世の中のことを知りたい」という要望を持った人間のほうが、「ちゃんとした情報を知りたい」という人間よりも圧倒的に多数であるということが、ネット時代になって分かってしまったという事実です。
ネット以前は、新聞というパッケージ商品という形でしか、ニュースを買うことができなかったので、実は一面を飾る政治経済に関する話題よりも、社会・芸能に関する話題、もっと言えばテレビ欄のほうが求められていたという事実が表に出る機会がなかったとも言えると思います。
このようにして、新聞社など玄人が作るニュースとブロガーなどの素人が作るニュースが入り混じり、偽ニュースが紛れ込む状況が生まれたのです。
ここまで見てくると、私が以前の記事「ネットでニュースの問題点」で提起した、「早い段階でその収益コストの問題を解決する必要がある」というのは、実は社会全体の要請ではなく、ほんの一部の要請に過ぎなかったということなのかということになります。
そうであるならば、そのコストはそのほんの一部の人だけで負担するというのが、全体としてはフェアであると言えるかもしれません。
う~ん。そう考えると非常に複雑な気がします。
全てを需要と供給だけで考えたら、芸術や文化という社会の発展という概念自体が不要となってしまうように思うからです。
そのあたりの問題を解決する仕組みが新たな波として出てきているという話も本書には書かれていましたので、そのことについて次回考えてみたいと思います。