日本人と英語

夏目漱石と福沢諭吉の文明開化論

2023年3月8日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語と日本人」からテーマをいただいて書きていますが、第二回目のテーマは「夏目漱石と福沢諭吉」です。

一万円札の肖像画は今も一世代前も「福沢諭吉」ですが、千円札については一世代前は「夏目漱石」でした。

この二人が「日本人と英語」の関係に大きな影響を与えたことについては議論の余地はないほど明確ですが、夏目漱石に関しては前回の記事にて、そして福沢諭吉に関してはかなり前になりますが、「福沢諭吉の英語教育」にて確認済みです。

二人ともにそのような大きな貢献があるからこそ、お札の肖像画になっているわけですが、本書には実は、二人の「文明開化」に関する考え方が180度異なるものだったという興味深い事実が書かれていました。

まずは夏目漱石の考え方についての該当部分。

「1911年に関税自主権の完全回復を盛り込んだ日米通商航海条約の締結、および同年中のドイツやフランスなどとも同等の条約を締結することにより明治政府の最大の課題だった不平等条約が最終的に撤廃され、日本はアジアで初めて西洋列強と対等の『文明国』とみなされるようになった。幕末の不平等条約締結から実に半世紀を要し、ようやく『半文明国』のレッテルを外すことができたのである。ただし、その実態は、夏目漱石が『現代日本の開花は皮相上滑りの開化である。』と喝破したように完全に平等といえるものではなかった。また、夏目は1901年の日記に、『中国人は日本人よりもはるかに名誉ある国民なり、ただ不幸にして目下不振のあり様に沈淪せるなり』、『日本人は今までどれほど中国人の厄介になりしか、少しは考えてみるがよかろう。』と書いている。このように、人権、個人の自由、民主主義などの内実が立ち遅れており、また、近代化の過程で醸成された差別意識はのちの戦争や植民地支配につながっていった。(一部加筆修正)」

次に、福沢諭吉の考え方についての該当部分。

「日本が『半文明国』から『文明国』へと昇格を果たしたことは、西洋列強と同じ帝国主義の道を進むことを意味した。世界システムにおいて大英帝国が世界の中核に位置する覇権国家であるように、東アジアにおいて日本は中核国家となり、周辺の地域を植民地として支配する体制を築こうとした。これがその後に大きな火種を残すことになる。西洋発の文明段階説は、啓蒙思想家としての福沢諭吉に暗い影を落とした。彼は1885年の『脱亜論』で、『西洋の文明国と進退を共にし、文明段階の低いアジア東方の悪友を謝絶する』とまで主張し、英語や西洋語の学習を重視する一方で、古代から上位に位置付けていた中国や朝鮮の言語は下位とみなされるようになった。これは明治政府の方針でもあった。上には媚びへつらい、下には傲慢に対応する。福沢の『脱亜論』にみられる優劣感はそのまま外国語学習にも反映したのである。それを漱石は『軽薄な根性』だと批判した。(一部加筆修正)」

続けて、福沢は女子に対する英語教育にも批判的でした。以下はその該当部分。

「1889年の『文明教育論』で、女子への英語教育を『狂気の沙汰』だと批判している。『三度の食事も覚束なき農民の婦女子に横文字の素読を教えて何の益をなすべきや。嫁しては主夫のぼろを補綴する貧寒女子への英の独本を教えて後世何の益あるべきや』とボロクソである。福沢の発言は農村、貧者、女子への三重の差別だ。中国人や韓国人などのアジア民衆に対する蔑視を盛り込んだ『脱亜論』とともに、彼の啓蒙思想の限界を示している。」

神経衰弱を患ったことで「公務員」として政府から、「英語教師」として学生からも不評を買ってしまった夏目漱石ですが、あの時代のあの大勢の中でも非常にバランス感覚のとれた先進的な考えを持っていたことが良く分かります。

少なくとも第一回目での夏目漱石の低評価を吹き飛ばすには十分で、あの福沢諭吉に対しても「軽薄な根性」と切って捨てるところなど、とても神経衰弱には思えない、まさに「坊ちゃん」を彷彿とさせるすがすがしさです。

その一方で、一英語教師にとどまらず「慶應義塾」という現在にも続く大教育機関の創立者であり、「学問のすすめ」の冒頭で「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」と言った福沢諭吉が、このような差別的で矮小的な考えにとどまっていたという事実は、彼が日本の啓蒙思想家として第一級の評価を受けているだけに非常に複雑なものでした。

 

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