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100歳の少年と12通の手紙

2017年12月6日 CATEGORY - 代表ブログ

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皆さん、こんにちは。

100歳の少年と12通の手紙」というフランス映画を見ました。

この映画のあらすじは次のようなものです。

「小児白血病との闘病生活を送っていた少年オスカーは、僅か10歳にして自分の余命が12日しかないことを知る。本人に真実を悟られまいと両親、そして医師までもが彼の病気に関しては口を濁し、腫れ物に触るような態度で彼に接する。死の現実を冷静に受け止めたオスカーは、正面から向かい合ってくれない彼らの態度に心を閉ざしてしまう。そんな彼に唯一真正面から向き合ってくれるのが、宅配ピザ屋の女主人ローズだった。ローズに接する際のオスカーが少年本来の姿であることに気づいた病院の院長は、ローズに対して毎日ピザを注文する代わりに、オスカーと会ってくれるようにお願いする。大晦日までの12日間毎日、オスカーの元を訪れることになったローズは、残された1日を10年と考えて過ごすこと、そして毎日神様に手紙を書くことを教えるのだった。初めての恋、結婚、試練、最愛の妻との別離…その日からオスカーは、病院の中で1日ごとに10年分の人生を体験していく。」

私自身、30代も後半になり、不慮の事故等で無念にも突然人生を閉じなければならなくなった友人も何名かおり、また阪神大震災や東日本大震災など、自分の周りではなくても、多くの人が、つい数分前までは自らの死など意識もしない中で、天に召されてしまったケースを複数回、目にするようになりました。

そのようなことを目にする度に思うのが、人の人生は実際の時間の長さだけが問題ではないのではないかということです。

未練といいますか、もっと人生においてやるべきこと、経験するべきことをせずにこの世を去らなければならない無念の気持ちをもって「死」を迎えなければならないかどうかこそが、人生の長さの問題だと強く思うようになりました。

「青春を謳歌すること」、「自分の仕事で世の中に貢献すること」、「結婚して人生の伴侶をもつこと」、「子供を育てること」、「その子供の成長を確かめること」、「孫の誕生を目にすること」、、、

このように書き出してみると、どこまで行っても何かしらの「未練」は残るかもしれないとは思いますが、自分が元気な時にこのぐらいまで経験できれば、そこそこ「満足」と考えられるところまで生きることができたら、その人の人生は十分に長かったと言えるのではないかと思います。(ただ、周りの人生の先輩に聞いてみると、その時になるともっと、もっとと思ってしまうのも人間だそうですが。)

この人生の問題を浮き彫りにして理解させてくれるのが、この映画です。

この映画で私が最も印象的だったのが、10歳のオスカーが、自分の死が避けられないと分かった後、自分の満足のいく死を迎えられるようにするために、自ら行動に移したことです。

それは、最後にそばにいてほしい人を自分で決め、その通りにしてくれるように自ら頼むこと、そして、その限られた時間の中で、自分が「不足」しているものを経験する計画を立て、その通り実行するすることです。

そして見事、最終的に自分の満足のいく死を迎えます。

それによって、自らの穏やかな死をもたらしただけでなく、その穏やかな表情が、自分に関わる多くの人間の心も穏やかにし、彼の死を受け入れやすくすることにもつながっていました。

人の人生と死において重要ことは何かを考えさせるフランス映画らしい映画でした。

 

 

 

 

 

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