日本人と英語

日本が貧乏になれば英語はできるようになる?

2015年3月15日 CATEGORY - 日本人と英語

貧乏

 

 

 

 

 

 

先日、書籍紹介ブログにて「英語とわたし」という本を紹介しましたが、その中で、東京大学教授で中国文学研究者の藤井省三氏が非常に面白い主張をされていました。

それは、ある新聞記者から受けた「日本人の英会話はどうすれば上手になるのか?」という質問に対して

「国(日本)が貧乏になれば、皆、英語が喋れるようになります。」と答えたというものです。

この考え方は、中国文学研究者である藤井氏が香港での英語の実態をもとに明らかにされたものです。つまりはこうです。

「香港では、70年代には学生は流暢な英語を話していたものだ。中学からほとんどの授業は英語で行うという植民地教育体制であったし、大学進学率も3%ほどで大学生は超エリートだった。小学校が義務教育化されたのは1971年のことで、経済的理由で中学・高校に進学できない人が多数いたものの公務員や貿易会社、観光業というより多くの収入を得られる職業を目指して若者は熱心に英語を学んでいた。それから、30年近くがたって、一人当たりのGNPが20倍以上に急成長した香港では、逆に英語が通じにくくなっている。良い就職はいくらでもあるからだ。そもそも高校できちんと英語で授業ができる先生はどんどん企業に流れてしまった。(一部加筆修正)」

外国人と対話したいという願望が強いほど、外国語の上達は進みます。その願望はハングリー精神に裏打ちされたものであるほど、つまり生活にかかわるほど強くなるもので、そのすそ野が広ければ広い程、その国の外国語会話の水準を高めるものだからです。

これは、フィリピンになぜあそこまで英語が達者な人が多いのかを考えれば明らかだと思います。

一方、グローバル化が叫ばれる中でも、日本人が少なくとも日本国内で生活していく分にはその願望は高くなりようがないということです。

もちろん、昨今では、グローバル企業を中心に多くの人の意識は高く、英語を学ぶ必要性は高まってきていることは確かです。

でも、この日本社会の中でふつうに生活しているだけでは、ある程度まで身に着けた英語を維持・向上させることはできません。なぜなら、国内におけるほとんどの仕事が日本語で行われるからです。グローバル、グローバルと騒いでいても、現時点でその仕事の中で必要とされる日本語と英語の量を比較すれば、何千倍もの開きがあるでしょう。

しかし、かつての香港や現在のフィリピンでは、良い収入を得られる仕事をしようとすれば、その割合は全く逆なのです。ですから、このような条件下では、意識を高めて英語をしっかりと身に着けた人は、そのような仕事についた以上、自動的にその英語のレベルが維持され、向上していくのです。

だからといって、日本人が英語をできるようにするために、あえて日本の国力を落とし、日本における仕事での使用言語が英語に変わってしまうようなことを期待するわけにはいきません。

しかし、日本においてもその割合がじわりじわりと変化してきているということも事実です。

これは非常に難しい、そして根源的な問題ではあります。

ですが、我々日本人は日本の力を維持しつつ、英語を使えるようになるためには、「ふつう」にではなく、「あえて」英語という道具にアプローチしていかなければならないことだけは確かです。

であるならば、その「あえて」する英語学習を効率的、効果的にすることが我々に課された課題だと考えるべきだと思っています。

 

 

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