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日本語の歴史

2019年7月24日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

私は自らが主宰する「文法講座」において次のように強調して英語の習得の容易性について訴えています。

「英語は基本的にはSV、SVO、SVCの3つの文型ですべてのことを言い表すことができる明確な骨格を有しているので、2泊3日や5泊6日という超短期間で英文法を身に付けさせることが可能ですが、日本語には明確な骨格がなくアメーバーのような言語なので、とてもそのような短期間で外国人に対して日本語文法をマスターさせることはできません。」

この考え方は基本的に正しいと思っています。

ただ、私は最近、その困難性を「論理」と「要領」によって、何とか英語と同等とは言えないまでも、それに近い短期間でマスターさせる可能性を模索しています。

その前提となる知識を得るために、日本語の歴史を詳しく知ることが重要だと思い、いくつか書籍を読むことにしました。そのうちの二冊を今回と次回の二回にわたってご紹介したいと思います。

まず今回ご紹介するのは元埼玉大学教授で日本語学者 山口仲美教授のズバリ、「日本語の歴史」です。

本書では、元来、文字が存在していなかった日本語が、奈良時代以前に中国から漢字を取り入れて、自らに当てはめて使用しながら、またその漢字を参考にして独自の文字であるカタカナとひらがなを開発し、それと漢字を混ぜて使用するという方法を見出していくという日本語における「文字」の使用に焦点を当てた歴史が非常に分かりやすく書かれています。

その中で最も印象的だったのは、従来話し言葉と書き言葉が異なっていたものを、明治時代になり全ての国民に対して教育を行っていく必要性から、この二つを一致させる「言文一致」を実現させるにあたっての困難の歴史についての記述部分でした。

まず、私も含め多くの人がもつであろうそもそも素朴な疑問は、「なぜ話し言葉と書き言葉が離れてしまっていたのか」ということではないでしょうか。

実際に話しているものをそのまま文字に起こすだけなのに、なぜそれが難しいことなのかと。

これについてのざっくりとした回答としては、以下のようなものになります。

「話し言葉と書き言葉が離れるのは、話し言葉が変化しても、書かれる言葉は保守的な形態のまま伝統が保持されるから」

つまり、書き言葉というのは目に見える形で残るが、話し言葉はどんどん変わっていくため、その変化に書き言葉がついていけないというものです。

これについては、かつて「日本人と英語」ブログにおいて、英語の綴りが実際の発音と大きく異なることの理由として紹介したものと同じことです。

ですから、言葉が生き物である以上、この二つが異なる方向に向かうというのは自然なことです。ですが、その二つの間の距離が限界に達したのが明治の時代であり、それを何とか一致させようと奮闘したのが「言文一致」の運動でした。

しかし、結局この運動が最終的に目的を完遂したのは太平洋戦争の終戦の年1945年ですから、実に80年もの時間を要したことになります。

それではなぜこの運動が何度も挫折しなければならなかったのでしょうか。

本書では次の二つが理由があげられています。

まず一つは、身分制度が廃止されても、実際には色濃く残っており、漢文の素養のある支配階級であった人たちが一般には理解されない昔ながらの文章言語を使うことをやめたがらなかったから。

これについては、実質的な理由とはなっていないと思います。つまり、元の支配階層が言文一致をしたくないと思ったからということであって、言文一致が難しい理由ではないからです。

そして、もう一つは日本語には独特の敬語体系があること。すなわち、誰に向けて誰の立場で書くべきかを定めることが難しい言語だから。

これこそが、実質的な理由だと言えるでしょう。

この問題を解決することに一役買ったのが、「落語の語り」です。具体的には、作家の二葉亭四迷が、三遊亭円朝の語り口を参考に「敬語」を極力排して書くという挑戦をやってみると、意外に一般に受け入れられることが分かりました。

そのあと、様々な作家が「です」「だ」「ございます」などの締めの語調を試し、最後に客観論調を表現する「である」調に尾崎紅葉が挑戦し成功したことで「言文一致」が安定化しました。

明治43年に尋常小学校におけるすべての教材が口語文化し、大正10年に読売新聞、翌年に朝日新聞が言文一致を取り入れることで「言文一致」が完了したとみなされます。

このことを知ることで、今このブログを書くこととができることの幸せを一層深く感じられる気がします。

 

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