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「低学歴国」ニッポン

2023年6月28日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2023年6月25日)、「日本の大学の本当の問題とは何か」の記事の中で、日本の大学がランキングを落としている大きな原因の一つに、世界の大学が国際化を大学院にシフトすることによって世界から優秀な学生を集める一方で、日本社会が大学の大学院以上のレベルを必要とせず、むしろ意図的に拡充をしていない事実を挙げました。

つまり、それは日本社会があえて「低学歴化」を志向していると言い換えられるわけですが、これがいかに世界の常識とはかけ離れたものであるかは、このところの世界ランキングの急激な低下が物語っています。

そこで、この問題をさらに詳しく掘り下げるのに適当な書籍はないものかと探していたところ、日経新聞におけるこのテーマの連載を一冊にまとめた「「低学歴国」ニッポン」という新書を見つけましたのでご紹介します。

日本は大学進学率が2009年に50%を超え、2019年にはついに54%となっていることからも、一般に、「学歴社会」だと言われることがありますが、これは誤った日本語の使い方です。

実際にはどこの大学(学部)を卒業したかが評価基準となる「学校歴社会」であるというのが正しい表現です。

私としては、本書を読む前からその認識自体はありましたが、実際に読んでみて、日本が「低学歴国」であることの本質的な問題点と、そしてその問題がいかに深刻であるかということに改めて気づかされました。

まずは、日本が他の先進国と比較して圧倒的な「低学歴国」であることを明らかにするために本書に書かれていた具体的な数値を確認します。

◆人口100万人当たりの博士号取得者数(2018年)

日本が120人であるのに対して、米国は281人、ドイツは336人、英国は375人、韓国は284人

→この数字からは日本の博士号取得者が少なくともどの先進国と比べても半分以下であり、絶対的な博士号取得者の社会への供給力の小ささが分かります。

◆日米の企業と大学における博士号取得者数(2020年)

企業:米国が21万5500人であるのに対し日本が2万4470人

大学:米国が24万1050人であるのに対し日本が13万6082人

→この数字からはただでさえ少ない日本の博士号取得者のほとんどが大学に偏在しており、企業に在籍するのは米国の1/10に過ぎないことが分かります。

◆日米の時価総額上位100位の企業における学位取得者の割合

米国:学部卒が23%、修士号取得者が67%、博士号取得者が10%

日本:学部卒が84%、修士号取得者が15%で、博士号取得者が1%未満

→この数字からは日本の企業経営者の大多数が学部卒であり、日本社会がほとんど意図的に「低学歴社会」であろうとする姿勢が見て取れます。

このように具体的な数字で示されると日本は明らかに「低学歴国」であるという事実を理解できるわけですが、その事実よりも印象的だったのは、本書には「低学歴国」であることが日本社会にどのようなマイナスをもたらすのかについて非常に分かりやすく書かれていたことでした。

以下、該当部分を要約の上引用します。

「なぜ世界では企業を博士号取得者がけん引しているのだろうか。そのヒントとして経営共創基盤の冨山和彦会長は次のように強調する。『Ph.Dをとるまでの知的訓練は破壊的イノベーションそのものだ(からだ)。』博士論文が査読を通るには通説をひっくり返すような新規性が不可欠だ。今まで存在しない仮説を立て、実験などで検証し、一般的に通用することを証明しなくてはならない。その能力を身に着けるのが大学院の訓練であり、Ph.Dはそれが一通りできることの証(ライセンス)と言える。ビジネスの世界の破壊的イノベーションも同じ。テクノロジーや人々の価値観の変化を観察し、『実はこういうビジネスが求められているのではないか』などと考え、新しい発想にたどり着く。そこに一般性があることで大規模な産業革新が起こる。1980年代以降、モノから情報や先端技術に富の源泉が移り、それらを組み合わせるデザインや発想が社会を変えながら企業を成長させるようになった。Ph.Dのような知的プロフェッショナルが価値の創造を先導する時代が訪れたからだ。ちなみに日本の自動車産業は国際競争力を維持しているが、それはこの産業が同質の集団で改善改良を積み重ねていくモデルがまだ通用する数少ない分野だからだ。」

非常に説得力の高い説明に納得しつつも、ますます日本の先行きを不安視せざるを得なってしまい、ただただ愕然としています。

 

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