日本人と英語

「全体を流して重要な部分だけを拾え」は正しくない?

2023年3月15日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「めざせ達人!英語道場」から一つだけテーマをいただいて書きたいと思います。

書籍紹介ブログの中でも強調した通り、本書の内容は非常に厳しいものとなっており、今流行りの「楽して○○」的なことを一切認めない「王道」のみを提示するものとなっています。

こちらの方法が「楽して○○」にあたるかどうかは議論の分かれるところかもしれませんが、リスニングや速読の際に「全体を読み(聞き)流しておいて重要な部分だけを拾え」という指導は、現代の英語教育においては「流行り」を通り越してもはや「常識」に近いものになっているように感じます。

今回のテーマは、「全体を流して重要な部分だけを拾え」という昨今の「常識」に対する挑戦です。

以下に、著者の当該「常識」に対する反対意見を引用します。

「英語の聞き取り、およびリーディングに関して、細部と全体の理解との関連が問題になることが多い。そして現在の日本の英語教育においては、今まで細部にこだわって指導や学習がなされていたのが間違いで、全体の意味をとることが重要である、という結論になることが多い。だが、これはあまり意味のある議論とは言えない。聞き取りに特化した話をすると、英語を聞くときに単語を全部聞き取ろうとするから意味が取れないので、全体を聞き流しておいて、重要な部分だけを聞けばいい、などと指導する英語教師がいるが、これは全く本末転倒の指導である。最初から『重要な部分』が分かるくらいなら、とっくに意味は取れているのであり、どこが重要かわからないからここの単語を聞き取ろうとしてあたふたしてしまうのである。具体例を出そう。モグラ叩きは、叩くべき対象物全体をぼんやりと視界に収め、必要な時だけ叩くべき部分を的確に叩く。出てきた個々のモグラを見ていたのでは、そこに気をとられてほかのモグラを逃してしまう。全体を見て、目の端でモグラが動くのを察知したら、そこにさっとハンマーをもっていくのである。これはすべての技芸に共通しているのではないかと思う。上達すればするほど、肩の力を抜いて全体をゆったりと見渡しつつ、肝心のところはきっちりと決めることができるようになる。したがって、細かいところにこだわらずに全体を見るのが大事というアドバイスは間違ってはいないが、それができない人にとっては何のことか分かろうはずもない。(一部加筆修正)」

もう、ぐうの音も出ないとはこのことかという指摘です。

では、この問題にどう対処したら最終的に「全体を見る」ことができるようになるのか、著者は次のように説明しています。

「もちろん、上達したら結果的にそのような感覚が身につくことを指摘して、そのイメージに向かって稽古を促すのはいいことである。最初はとにかく何でもかんでも試し、何でもかんでも調べてみるのがいい。そこに多少の無駄があったとしても、そのような無駄が後々生きてくることも少なくない。」

う~ん、結局それしかないのか、、、と多くの方のため息が聞こえてきそうです。(笑)

しかし、このことを明確にすることで、その技芸に習熟した人の言い分を、まだそれを習熟していない人の学習に対するアドバイスとして提供することで結局何にもならないという究極の「無駄」は排除することはできます。

そして、何より耳を傾けるべきは、長く厳しい習熟のための学習をしている段階で、「上達したら結果的にそのような感覚が身につくこと」を示してあげることで、その長く厳しい時間をできるだけ多くの学習者が乗り越えられるようにするということではないでしょうか。

今までの方式が誤っていたのは、その「学習の本質」ではなく、その先にある達成後の感覚を見せることなく、長いトンネルの中をさまよい続けさせるという「指導の仕方」にあったのではないかということです。

「王道」から学習者を外れさせないということこそ、「指導者の本分」だということを忘れないようにしたいです。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆