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戦争と報道と世論と

2020年8月24日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

この夏、立て続けに三つの戦争映画を観ました。

戦艦大和の建造にあたって、もはや巨大戦艦の時代ではなく航空機と母艦の時代だとして大和建造にかかるコストの見積もりの虚偽を数学的に証明することでその計画を変更させようとした数学者を描いた「アルキメデスの大戦」、その巨大戦艦の建造に敢然と反対しながらも開戦の口火を切らなければならなかった山本五十六元帥を描いた「山本五十六」、そして結果的に建造された戦艦大和の乗組員の運命を描いた「男たちの大和」の三本です。

この三つの映画を見事に共通して貫いていた視点がこの記事のタイトルとした「戦争」「報道」「世論」でした。

これらの映画を観た後にこの三つの単語を組み合わせて結論づけようとすると次のようなものになります。

・「戦争」は「世論」によって始められる。

・「世論」は真実とは全く異なる情報によって作られる。

・  真実とは異なる情報によって「世論」を作るのが「報道」である。

私たちは、戦後の教育で太平洋戦争は「軍部の暴走」によって始められ、その結果、罪のない多くの国民が犠牲になったと教えられます。

もちろん、最終的に戦争への道を推し進めたのは軍部かもしれません。

しかし、軍部をその方向性に導く原動力となったのは確実に「世論」であり、多くの国民は「戦争をやるべきだ」と明確に考えていたことがこれらの映画ではしっかりと描かれています。

この事実とその事実が作り出された経緯を教育の場で伝えていかなければ、日本国民は「軍部の暴走」という言い訳をしつづけ、国民自身がその原因を作ったことについて永遠に反省することができません。

そもそも、「世論」は真実とは異なる情報の方を好むという性質をあらかじめ学び、常に自戒の気持ちをもって「報道」に触れる姿勢を持つ必要があります。

国際関係において自分たちが都合が悪い立場に立たされた際にその解決の手段として「戦争」を用いようという気持ちになった時に、国民一人一人が、その最前線に行くのが自分自身であったり、自分の子供、自分の孫であるというリアリティを常に持って生きていれば、日本国憲法9条に明記されなくとも、その国は「戦争」という選択肢を「放棄」する決断ができるはずです。

反戦教育において最も重要なことは、世論がかくも簡単に真実とは異なる情報の方を好むという性質を持つことをリアリティをもって知らせることだということをこの三つの映画は教えてくれます。

今年の夏に、この三つの映画を自分の三人の子供たちとじっくり見て心に刻んだことを、最高の財産としたいと思っています。

 

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