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探究したいのは日本人像

2019年3月11日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2019年2月24日)、日本を心から愛したアメリカ出身の日本文学・文化研究者である「鬼怒鳴門(ドナルド・キーン)」さんがなくなりました。

私は、英語を教える仕事につきつつも、あくまでも英語は日本人にとって「外国語」であって、日本人は思考の基礎である日本語を何よりも大切にしなければならないという考えを持っており、そのことについては手を変え品を変えこのブログでもお伝えしてきています。

ですから、日本を心から愛してくれるドナルドキーンさんのような存在がいなくなってしまうのは非常に寂しいものです。

そのドナルドキーンさんの追悼評伝記事が日経電子版に載っていましたのでご紹介します。

まず、この記事で最も印象深く彼の日本に対する愛情を表現した部分が冒頭にありました。

「『日本人の家に掛かっているカレンダー、印象派の絵が印刷されたものが多いでしょう。日本には美しい絵がたくさんあるのに、なぜみんなモネ、ルノワールなのか、私とても残念に思っています』都内の自宅で話を聞いたとき、そう言って少し寂しそうな表情を見せた。日本人が自国の文化に関心を持たなくなっている状況を、誰よりも憂えていた。」

彼は自分の使命を次のようにとらえていたようなところがあるようです。

「日本人は自分たちの文化のすばらしさに気づいていない。」

つまり、彼は外国出身である自分の目線でその良さを切り取ることで、日本人に日本文化のすばらしさを気づかせることを意識して行ってきたということです。

そんな使命感に燃えるに至った彼の日本への思いの背景には、以下のようなバックグラウンドありました。

「第2次大戦下の1940年、18歳で出合った「源氏物語」に魅了され、日本文学の世界に入っていったことはよく知られている。「『源氏物語』の中には戦争はなかった。私が生きている現実とは反対の美しい世界が広がっていたのです」。遠い国への憧れの背後には、仮借のない現実を忌避する心があったのだろう。松尾芭蕉や近松門左衛門など近世文学を専門としたが、同時代を生きる作家とも親しく交わった。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、安部公房らが日本文学を代表する作家として世界で知られているのは、キーンさんが積極的に英語で紹介した功績だ。「日本の戦後文学は元禄時代の文学にも劣らない」と話していた。80代で芭蕉が歩いた奥の細道をたどり、中尊寺を見たとき、初めて訪れたときの心の震えがもはやないことに気づいたという。「もう私の目は日本人と同じになったのでしょうね」と語っていた。」

そんなドナルドキーンさんが語った次の言葉は非常に印象的です。

「私が探究したいのは日本人像。日本人とはどういう人間なのかを知りたくて勉強してきたのです」

これは、日本人である私たちが真っ先に見習わなければならない姿勢だと思いますし、その模範たるべき巨人が逝ってしまったことは、日本にとって非常に大きな損失だと思います。

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