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大切なのは間違いを認め改めること

2020年1月13日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2020年1月2日)の国際ニュースサイトAFPの日本語版に「ローマ教皇、女性信者の手をたたく 翌日に謝罪」という記事がありました。

以下に記事の内容を要約します。

「ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は1日、バチカン市国で大みそかに集まった信者らにあいさつをした際、女性信者から手を引っ張られ、体勢を崩した。いら立ちをあらわにした教皇が、女性の手を2度たたいて振りほどく様子を捉えた映像は、SNSで一気に拡散した。ツイッターでは教皇のとっさの反応を擁護する声が上がった。教皇は翌日、バチカンでの新年のミサを前に『人は我慢ができなくなることがよくある』と告白。『私にもある。昨日の悪い事例を謝罪する』と語った。さらにミサでの演説では、イエス・キリストが女性から生まれたことに言及し、『女性に対するいかなる形の暴力も、神に対する冒涜である』と述べた。」

こちらの動画がその一部始終です。

私は、今回のことの発生から謝罪までの教皇の一連の行動には私たち人間に対して非常に意味のあるメッセージが含まれていると思います。

それは、「人間の間違いに関して最も受け入れがたいことは間違いそのものではなく、それを間違いとして悔い改めることをしないことである」というメッセージです。

彼はそのメッセージを、「人は我慢ができなくなることがよくある。私にもある。」と告白し、「昨日の悪い事例を謝罪する」と13億人ともいわれるカトリック信者のトップとしての立場でその間違いを素直に認めることで私たちに届けたことになります。

私はこのブログでも記事を書いていますが、昨今非常に取りざたされる企業の「コンプライアンス」の意識の向上は本来あるべき方向のものではないと思っています。

それは、多くの企業における「コンプライアンス」に対する認識がこのメッセージの本質をとらえていないからです。

人間はその本質として必ず「間違い」をするものです。

ですが、多くの企業においては間違いを起こさないことを前提にコンプライアンスに関するルールが運用されているように思えてなりません。

そのため、「間違い」をしまったら、それはしてはならないものであるため、「隠ぺい」せざるを得なくなってしまうのです。

昨年一年間で、何度この「隠ぺい」に対する「謝罪」を耳にしたか知れません。

そうではなく、「間違い」を発見した時に、それを素直に「告白」し、「謝罪」をし、そして二度と起こさないように「修正」することを「宣言」するというのが、人間、そしてその人間の集まりである企業のコンプライアンスの目的であるはずなのです。

今回、ローマ教皇がローマ教皇という立場で私たちに対して発したこのメッセージによって、企業に限らず、私たちすべての人間がその本来の目的に近づけるきっかけをつかめたらと強く思いました。

 

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