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飄々と生きる

2017年6月21日 CATEGORY - 代表ブログ

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皆さん、こんにちは。

人生どんなふうに生きるのがいいかと問われて、一言で答えるとすると「飄々と」という言葉が浮かびます。

現在存命でそんな生き方をしている方を探すのは本当に大変ですが、この方は間違いなくついこの間(2014年逝去)まで、その一人だったのではないかと思います。

日本テレビで伝説の番組をいくつも創り出したにもかかわらず、定年を待たずにキレイさっぱりテレビ界から姿を消した元祖テレビ屋と言われる、井原高忠氏その人です。

この方の存在を知ったのは、何度も私のブログで最も尊敬する経営学者の一人としてご紹介させていただいています一橋大学の楠木建教授が「戦略読書日記」という自らが今までに影響を受けた書籍を紹介する本の中で、井原氏の著書をご紹介されていたからでした。

楠木先生が、「疾走するセンス」、「天才」、「戦略ストーリーの塊」というような言葉で大絶賛しているので、そこで紹介されている井原氏の著書よりも、彼という人間そのものに興味を持ち、彼の人生を第三者の取材によってつづった「元祖テレビ屋ゲバゲバ哲学」を読むことにしました。

井原氏の人生をまとめると以下のようになります。

「1929年に三井財閥の次男の息子として東京生まれる。学習院高校卒業後、慶応大学入学。ウェスタン・バンドを結成し、進駐軍に対して演奏することで高額のギャラを稼ぐも、出来たばかりの日本テレビ入社。音楽番組・ファッション番組・初期のダンス番組等を担当。ある日「ショービジネス」を極めるには本場アメリカに行くしかないと一念発起、仕事や会社の研究費で数度渡米、アメリカのショービジネス・バラエティ・テレビのバックステージを徹底研究する。帰国後、伝説の番組「光子の窓」を制作。「九ちゃん」「11PM」「ゲバゲバ90分」「24時間テレビ」を制作。日本テレビ第一制作局長を最後に1980年日本テレビ退社。ハワイへ移住。その後、養女の結婚に伴ってアトランタへ移住。2014年、心臓病により亡くなる。 」

このプロフィールを一見するだけで、飄々というか、さっぱりというか、「囚われない」生き方を貫き通した方であることが分かります。

その囚われない生き方が更に分かるエピソードが本書に書かれていました。いわゆる「ナベプロ戦争」と言われるものです。

「テレビ局と芸能プロダクションの関係は「対等」だと考えていた井原氏は、当時ナベプロ帝国と言われていた日本最大の芸能プロ「渡辺プロダクション」と大喧嘩になったことがあった。あることで激怒した井原氏はその帝国に対し、一歩も引かず熾烈な死闘が繰り広げられた。「ナベプロのタレントを全部、日テレから引き上げる」と言われ、「上等じゃねえか。」と開き直り、井原氏は色んな作戦を繰り出して対決し、結局勝ち負けで言うと日本テレビ・井原サイドが勝った。この時の作戦の一つがあの『スター誕生!』。スターを出してもらえないなら、スターを自分たちで作ってしまえ!というわけです。」

このあたりが、楠木教授をして「痺れ」させてしまうところなんだと思いますが、何故この人にはこんな身のこなしができるのかを考えていたところ、たまたま偶然、先日ご紹介した「夢をかなえるゾウ」にそのヒントが書かれていたことを思い出しました。

それは、「自分の仕事が好きで好きでたまらないこと」です。

その仕事を続けるにあたって、他人にとっては大変そうだな~すごい努力だな~と思われることでも、自分の中ではただただ楽しいからやっていて、苦しくもなんともないということです。

例えば、自分の仕事を極めるために1ドル=360円の時代に実際にアメリカへ行き、ショービジネス・バラエティ・テレビのバックステージを徹底研究することもそうですし、自分の仕事を守るために、誰もが恐れる相手とも徹底的に喧嘩することもそうです。

そして、好きで好きでたまらないから、自然と達成するまでやり続けられるわけです。

だから、昇進して局長となることで、好きで好きでたまらない番組作りの現場から外されてしまえば、誰が何と言おうが、やめるのは当然ということになります。

そうか、と思いました。

飄々さやさっぱり感というのは、ただただ、自分が好きで「やりたいからやっている」ということによって、自然と発せられるオーラのようなものなんだということです。

ガネーシャのいうとおり、そのようなプロセスから生じる結果には、絶対に「未練」や「後悔」などは生じるわけないのです。

 

 

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