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「高校では英語で授業」の実態

2018年10月8日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2018年9月24日)の日経電子版に「英語で授業 高校出遅れ」というタイトルの記事がありました。

すでにご存じの方は多いかと思いますが、現在日本の高校では、「英語を英語で教える」ということが基本ということになっています。

ですから、この記事はその基本の実行があまりうまくいっていませんという内容のものです。

以下記事を要約します。

「英会話学校大手イーオンは、中高の英語教師約270人を対象に「英語教育実態調査2018」を実施した。高校で英語の授業時間の半分以上は「英語を使っている」と回答したのは、3分の1にとどまった。」

この記事を読んだ人の反応は二つに分かれると思います。

それはまず、「英語で英語を教えることが基本」ということになっていることをそもそも知らなかったと反応と、それを知っていた人では、「1/3というのはむしろ以外に高いじゃん!(それが本当だったら)」という反応の二つではないでしょうか。

なぜなら、今の日本の一般的な高校で「英語で英語を教えるが基本」とすることで、何か意味がある結果が出せるわけがないからです。

私は、企業の人事担当者向けのセミナーにて日本人が外国語として英語を学ぶことで、「英語を使える」ようになるためには、ある一つの「方程式」に則るしかないと断言しています。

それは、①「英文法を体系的に理解しマスターすること(と最低限の語彙を身に付けること)」を実現した後、②「英語だけで生活する環境を一定期間確保すること」です。

これは、自らの英語体験とともに、ランゲッジ・ヴィレッジの運営を14年以上続けてきたことで得られた絶対的な確信です。

そして、この視点で現在の高校の英語教育状況を見てみると、全くこの方程式から外れていることが分かります。

まず、これは高校の責にしては可哀そうですが、現在の中学校ではかつてと比べて①「英文法を体系的に理解しマスターすること」をさせないようにしているという事実があります。

ではどうしているかと言えば、体系的な理解を捨て、体感的理解の方向に舵を切っています。

まあ、体感的理解と言えばもっともに聞こえますが、実例に触れながら帰納法的に理解させるという、意地悪く言えば「出たとこ勝負」のやり方です。

しかし、触れさせる「実例」が圧倒的に少ない中で帰納法的に対応する場合、意味のある結果は確実に得ることはできません。それは、アメリカの赤ちゃんがお母さんから受ける英語のシャワーと比べて週に数時間の授業からえられる実例の数を考えれば容易に分かると思います。

結果、基礎中の基礎である「文法」の体系的な理解ができていない状態で、高校生になります。

文科省が「英語を英語で教えることが基本」としたということは、②「英語だけで生活する環境を一定期間確保すること」を授業内で実現しようとしたのだと考えられます。

しかし、如何せん方程式の一つ目①「英文法を体系的に理解しマスターすること」が解けていない上に、二つ目も通常の授業の中でそれをやろうというのは、一クラス数十名という形式を考えると分量としては圧倒的に不足していると言わざるを得ません。

ですから、できるわけもないですし、仮に形はできても何か意味のある結果は出ようもないというのが現実です。

この調査結果は、批判的な記事の趣旨とは異なり、「1/3というのはむしろ以外に高いじゃん!」という積極的な感想を持った方が多いとは思いますが、逆にそれが本当だったら逆に恐ろしいほどの教育力を持ったクラスだと言えると思います。

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