日本人と英語

「ここはどこ?」は「Where is here? 」か

2022年8月26日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英文法を哲学する 」からテーマをいただいて書いていますが、第七回目のテーマは「日英の空間感覚の違い」についてです。

突然ですが、「ここはどこ?(私は誰?)」を英語に直しなさいと言われたらどういう英文を作りますか?

これはよくテレビのドラマとかには出てくるわりに実際の生活ではほとんどないシチュエーションですので、ほとんどの方がこの英文を作ろうとした経験はないと思います。

でも敢えてやろうとしたら、「Where is here?」と「Where am I?」の二つの可能性があると思いますが、日本人では前者の方がかなり多くなるのではないかと推測します。

ですが、この「Where is here?」という文は英語として成立しないと著者は言うのです。

「えっ?」という感じで、そもそも何が問題なのかが分からないという方も多いかと思いますので、この問題についての本書の言及部分を以下に引用します。

「Where is here?だと『here』が見つからない、『ここ』はどこに行ってしまったんだ、という表現になってしまいます。英語のWhere isは『どこ・にある』かを聞く言い方。『ここはどこ?』は『どこ・であるか』(What is this place?)を聞く言い方。ですから、英語圏の人には、『はっ?ここはここにあるに決まってるじゃないか』と思われてしまいます。私たち日本人が日本語の『ここはどこ?』をWhere is here?とそのまま英語に直してしまうと、『ここ』の名前を聞いているつもりで、『ここ』の所在を聞いてしまうことになってしまうのです。ですから、英語ではWhere am I?と問います。でも逆に、日本人にとってはこれをそのまま日本語に訳した『私はどこにいますか?』という文は変ですよね。『私』はここにいるに決まっている。『ここ』は話者(私)の移動とともに動く、一人称の拠点<うち>ですから。一方で英語圏の人は、地図のような客観的な『空間』を思い描いて、その中に『私』を位置付けます。英語は<うち>を抱えず、記号としてのIやYouが公的空間で行動し、反応するというモデルに寄っています。いわば『空間言語』。その特徴がWhere am I?という疑問文によく表れている。この空間に『ある』ものはIだろうとYouだろうと全て物理的に極めて平等に『ある』とみなすことができます。(大幅加筆修正)」

これは、日本語には特に一人称の主語がない文が多くみられるという事実と関係があるように思えます。

日本語では「ここ」は話者の移動とともに動くわけで、私(一人称)は常に「ここ」にいるに決まっているので一人称の主語を置く必要性が少なくなります。

話しているのが自分である以上、一人称の主語などいちいち置く必要がないということ、言い換えればいつも<うち>という空間は自分(一人称)の空間であると。

だから、「ここはどこ?」で自分のいまいる空間<うち>はどこ(何という名前)なのかということを問いたいのです。

しかし、英語では空間は物理的に平等、すなわちその中にはIもYouも存在している可能性が常にあるわけですから、それを表す主語は必要であり、自分自身がいる空間を訊ねるためにはWhere am I?というのが自然というわけです。

つくづく、英語と日本語では言語的距離が大きいなと思わざるを得ません。

だからこそ、それぞれの文法を学ぶということはそれぞれの言語の「哲学」を学ぶということなのだと思います。