日本人と英語

小学校英語はグローバル対応にならない

2020年7月10日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「小学校英語のジレンマ」からテーマをいただいて議論をしていますが、第四回目のテーマは、「グローバル化への対応としての小学校英語」です。

前回の記事にて、小学校英語の教科化への「背景」に関する部分にて私は以下のようなことを書きました。

「『背景』において『グローバル化への対応の必要性』が謳われています。こちらについては短絡的な連想ゲーム感は否めませんが、なかなか否定できるものでもありません。とりあえず、こちらについてのコメントは差し控えます。」

実は、著者はこの「なかなか否定できない」対象に対して、非常に明確にそして論理的に否定されていましたので以下にその部分を引用します。

「一般論として言うなら、(グローバル化の必要性に対して)何らかの改革がなされるべきであることは間違いない。しかしながら、現状を見るに、小学校英語型よりも優先して実施されるべき改革であることを示すデータは何もない。なぜなら、その必要性は今あるものであり、短期的・局所的に解決するべき問題だからだ。小学校英語のように、影響が広範囲に及ぶ割に即効性に乏しい施策を選択するのはかなりの悪手である。」

そして、私が特に強調したいのは、その代替案として考えられる方法を次のように指摘していた点です。

「小学校英語よりもはるかにコストパフォーマンスが良いのが、グローバルビジネスや国際交渉の前線に立つ人の英語力を向上させる施策である。一種の企業内教育・職業訓練である。これらに比べると学校教育での枠組みはコストパフォーマンスがよくない。必要性が定かではない学習者や動機付けが弱い学習者も含まれるからである。」

私は、ランゲッジ・ヴィレッジのような英語教育施設を運営しているので、その私が「小学校英語」に反対していることを知った多くの方には非常に不思議がられます。

日本の英語教育をより良いものにすることをビジョンに掲げ活動してあなたが一体どうして?というわけです。

そのたびに、私は「小学校英語」がそのビジョンには結びつかないことを「複雑」な事情を踏まえ説明してきましたが、効果的な説得につながらないことも多々ありました。

今回、著者がここで指摘した内容は「複雑」な事情の中でも最も効果的な説明を可能にするポイントを抑えていると強く感じました。

今までの中学・高校・大学の教育制度は、いわゆる「使える英語」として顕在化しないとして批判の対象になり続けてきました。

確かに、それだけでは「顕在化」させることはできないかもしれません。しかし、それは確実に蓄積として存在しているのです。

私たちランゲッジ・ヴィレッジは、「10年やってもダメだった英会話がたった1・2週間でできてしまう」という爆発的な効果を発していますが、これを私たちの力だけで可能としているとは思っていません。

これは受講生の多くがその蓄積を既にお持ちであることと、強い必要性という動機が合わさったところに、私たちが「英語を使わざるを得ない環境」を与えてあげることで実現しているだけなのです。

このことを改めて明確に認識させられる素晴らしい指摘だと思いました。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆