日本人と英語

小学校英語賛成派の論拠

2020年7月5日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「小学校英語のジレンマ」からテーマをいただいて議論をしていますが、第二回目のテーマは、「小学校英語賛成派の論拠」です。

私は英語学習に関する専門家として、どう考えても「小学校英語の制度化」は論理的にあり得ないと確信していますが、それを主導した「賛成派」の専門家たちがいて、結果的に「制度化」が実現されてしまった現実があります。

今回は、「賛成派」の人たちの「論理」についてみてみたいと思います。

実はこの議論が始まった当初(2003年~)、賛成派と言ってもそれは一枚岩ではなく、その主張は以下の四つに分かれていたようです。

①「大衆的賛成論」

②「小学校教育文化の改革」につなげるため

③「国際理解意識」を育むため

④コミュニケーション教育(母語も含めた)を推進するため

①については「早くから始めたほうが英語が身につくから小学校から始めよ」という分かりやすい主張です。ただ、これについては現在までにほぼ否定しつくされていてこれを論拠として現在も主張している専門家はほとんどいません。

また、②~④はいずれも小学校英語を日本人の英語力向上の切り札としては見ておらず、英語活動で子供にコミュニケーション活動を体験させることで、従来の小学校教育が提供できていなかった「豊かな学び」を実現することが目的であるという共通点がみられるようです。

このように見てみると、当初文科省の「小学校英語」導入案に対して「賛成」に回ったほとんどの専門家は、「総合的学習の時間」での「外国語活動」までを想定していたはずで、英語を「教科」として設定するというところについては、実は「反対派」として分類されるべき人たちだったことが分かります。

その後、まもなく小学校英語反対論は大きなうねりとなり、制度化に懐疑的な専門家が多くなっていくのですが、そのような動きにもかかわらず、文科省は、その議論を順調に進めることで制度化へのプロセスを成功に導きました。

なぜそれが可能となったのかですが、文科省が設置した委員会の委員が「賛成派」(上記の本来反対派として分類されるべき人たちを含む)で固められており、異論を唱える委員はほとんどおらず、明確な反対を唱える専門家は外野としてヒアリングで呼ばれるだけだったからです。

この事実から示唆されるのは、文科省としては、委員の人選の時点で「制度化」の道筋はほぼ決まっていたということであり、事務局サイドのコントロールがはじめから効いた出来レースだったということです。

ただし、ここまではあくまでも文科省主導で「外国語活動」を必修にするというところまでであり、①「大衆的賛成論」が求める「教科化」までは決して進めないという意思が見て取れました。

ところが2010年代になると、大きな転機が訪れます。

政策決定が文科省(官僚)主導から政権主導になったことです。「仕分け」に象徴される民主党政権の党主導、政権交代後も自民党政権による官邸主導として現在に至ります。

官僚主導の弊害を打破するために官邸主導が叫ばれたわけですが、官僚主導の時には少なくとも行政のスペシャリストとしての「エビデンス重視」の姿勢が維持されたことは上記のプロセスで確認できました。

しかし、官邸主導になるとその目線の先にあるのは有権者である「大衆」と「財界」の要求がどこにあるかということです。

そうなってしまうともはや「大衆的賛成論」が最も強力な意見となります。

結果、あれだけ神経をとがらせて英語は「教科」ではなく「領域」だということにこだわり続けてきたものをいとも簡単にひっくり返し、大衆が単純に求める「教科化」に行き着いてしまいました。

このことは、今年度からの実施の延期が決まった「大学入学共通テスト」の英語の民間試験導入や数学と国語の記述式と原因は明らかに一緒です。

改めて教育行政における慎重な政策決定プロセスの復活を望みます。

 

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