英語学習の目的の変化
2018年10月17日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「これからの英語教育の話をしよう」から、10テーマをいただいて議論をしていくシリーズの第四回、今回のテーマは「英語学習の目的の変化」です。
これは、一連の文科省による英語教育改革において私が唯一評価できることです。
2017年の教職課程の指針を示す英語教員養成・研修の「コア・カリキュラム」において次のように明記されています。
「英語はいわゆるネイティブ・スピーカーのみならず、世界の人々によってコミュニケーションのための国際共通語として用いられている現状があり、英語圏の人のみならず、英語を母語としない多様な言語圏・文化圏の人々と意思疎通するための異文化コミュニケーションの能力育成が求められている。学習指導要領の理念を具現化し、グローバル化した世界で生きる力を生徒に身に付けさせるためには、英語担当教員自身が世界で英語を用いる人々の文化の多様性を認識し、その理解を深めることが必要である。」
私は、ランゲッジ・ヴィレッジを立ち上げた14年も前からこのことこそが、日本人が英語を学ぶ「姿勢」として求められるべきものだと考えてきました。
なぜなら、日本人にとっての英語教育の目標をネイティブスピーカーの言葉の習得、英語圏の文化の理解としてしまうことは目標設定の技術のまずさを露呈しているようなものだと考えるからです。
英語教育に限らず、あらゆる目標設定において理想とされるのは、集団の中の多くがぎりぎりまで頑張れば何とか達成可能なレベルに目標を設定することだと言われます。
どれだけ努力しても到達不可能なレベルに設定された目標では、その多くが早々に目標到達のための努力を諦めてしまうからです。
多くの日本人にとっては、どんなに努力しても到達不可能な「ネイティブ英語」を目標とすることは、明らかに理想の目標設定から遠く離れ、その効果を確実に下げてしまいます。
ただ、今回の英語教育改革において、このような目標設定に変化を加えたということは、
「発音が悪かろうが、ネイティブは普通そういう言い方をしなかろうが、意味が通じる表現を学習者が作り出す能力を身に付けた場合には、それを評価しなければならない」
ということを意味します。
今まで、「正しい英語」「標準的な発音」などを「選択」させるような試験を多く出題してきた教育現場に対して、このようなことを徹底させることは非常に難しいことだと思います。
ですが、このような目標に変更した以上、、教える側がそれに即した能力を身に付けなければなりません。
小学校英語にかける予算があるのであれば、中学校以上の英語教育の現場をこの目標設定に適うものに変えるために使ってほしいと心から思います。