日本人と英語

英語の背景にある『文化』とは

2018年10月19日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「これからの英語教育の話をしよう」から、10テーマをいただいて議論をしていくシリーズの第五回、今回のテーマは「英語の背景にある『文化』とは」です。

前回の記事では、文科省は英語学習の目標をネイティブ英語から世界共通語としての英語を学ぶことへ変化させることを明示したことについて見てきました。

ところが、指導要領の目標には、一方で「外国語の背景にある文化に対する理解を深める」と書いてあります。

上記の目標の変化を前提にこの文言を読み解こうとすると、非常に困ったことになってしまうのです。

それは、「外国語の背景にある文化」の理解を高めるという目標の中の「文化」とは誰の文化か分からなくなってしまうからです。

英語学習の目標が変更される以前であれば、それは明らかにアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア等、英語を母国語として使用している人たちの文化でした。

しかし、変更された後は、恐ろしく困難な目標になってしまいます。

なぜなら、その「文化」とは一体何なのかということを明示しないと、この「外国語の背景にある文化に対する理解を深める」という目標は、「英語を使ってコミュニケーションをとる人間が存在する国すべての文化に対する理解を深めること」と言い換えられてしまうからです。

ですから、それは自国文化である日本文化を深く理解することを大前提とし、世界には日本文化とは異なる背景を持つ様々な文化が存在していること、すなわち「多様性」への遭遇に対する覚悟と準備をしておくことが「外国語の背景にある文化に対する理解を深める」ことなのではないかと私は思います。

つまり、それは「何でもあり」を許容するということと捉えるべきではないかと。

しかし、日本における英語が教科である以上、それをどのように評価するのかということが、改めて問題となりますが、著者はこれを本当に「難しい問題」だと言います。

前回、私はこれからの英語そのものの評価は、

「発音が悪かろうが、ネイティブは普通そういう言い方をしなかろうが、意味が通じる表現を学習者が作り出す能力を身に付けた場合には、それを評価しなければならない」

ものだと述べましたが、同様に文化の理解に関する評価も、

「日本文化とは異なる文化背景を持つすべての人間との間の『不理解』を言語・非言語的能力を総動員することによって解決した場合には、それを評価しなければならない」

というように設定するべきでないかと思います。

しかし、これも同様に「難しい問題」であることは間違いありません。

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