日本人と英語

Shall we dance?とWill we dance? の違い

2022年8月25日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英文法を哲学する 」からテーマをいただいて書いていますが、第三回目のテーマは「willとshall」です。

前回は、willが法助動詞であることから一般的に「未来形」と考えているものはただ単純に法助動詞のwillの「現在形」を使って、「現在の予測」によって「未来に起こること」を表現しているに過ぎないことを確認しました。

ここで、最近ではほとんど耳にすることがなくなったように思いますが、かつてwillと同じような使われ方をされ、同じように「未来に起こること」を表現する法助動詞に「shall」がある(あった)ことに気づかされました。

だいぶ前の日本映画になりますが、役所広司さん主演の「Shall we ダンス?」。これがあまりにヒットしまして、ハリウッドでもリチャード・ギア主演の「Shall we dance?」としてリメイクされましたので、この「shall」もそのような使われ方をされることがあることをご存知の方も多いと思います。

この「willとshall」について本書には非常に分かりやすい解説がありましたので以下引用します。

「昔、キリスト教国の人々は多分に神意(神の意志)と運命に支配されていました。そのため、過去の人たちは自分たちの主体的な動きをwillをもって語ることに、近代人ほど積極的でなかったようです。時の中を定められた結果に向けて動くものはshallを用いて述べるのが普通でした。つまり、shall は語源的に『神に負う(owe)』という意味があります。一方、willはもともとは名詞で『意志』の意味があるため『意図する』という意味があります。その流れで、近代までWe will overcome. われらは勝利するぞ(意志)、We shall overcome われらの勝利は動かない(運命)というような使われ方をし、日本の学校でも、shallは『単純未来』、willは『意志未来』と教えられていました。その後、前回の記事で説明したように、willが『未来』の意味で一般的に使われるようになっていく中で、shallが廃れていきました。未来を『運命』にゆだねる思考モードは衰弱したのです。(一部加筆修正)」

なるほど、よく分かりました。

ただ、では上記でご紹介した日英二つの映画における「Shall we dance?」というタイトルは化石のような表現を敢えてふざけて使用したのかという疑問が残ります。

その点についても指摘がありましたので引用します。

「それでも二人で一緒に何かをしようという時に、Shall we~? を使うと、出来事の自然な流れを問うかのような、きれいな勧誘になるため今でも一部使われます。」

なるほど、と思いました。

また、太平洋戦争中に日本軍の侵攻を受けフィリピンから退却しなければならなくなったマッカーサー司令官が、「I shall return.」と発言したことについて、学校で教わったように「I shall return.」は「単純未来」で「I will return.」が「意志未来」なのだから、後者のほうが力強さが伝わるのではないのかな?と思っていましたが、「私が帰ってくるのは自然な流れ(運命)だ」ということで彼の心情がしっかりと理解できるようになりました。

 

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