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チェルノブイリ原発の今

2022年3月9日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

コロナ報道に取って代わってテレビを一色に染めているロシアによるウクライナ侵攻のニュースの中に「チェルノブイリ原子力発電所」というキーワードが当初から頻繁に出てきています。

今回はこの「チェルノブイリ原子力発電所」について見ていきたいと思います。

ウクライナの首都キエフから北方に車で約2時間ほどの場所に位置し、当時4つの原子炉を有していたチェルノブイリ原子力発電所は、1986年4月26日に試験運転をしていた4号機で爆発を起こし、大量の放射性物質が放出され、世界史上最大そして最悪の原子力事故を起こしました。

当時まだ小学生だった私もその時のニュースを鮮明に覚えています。

その中でも強く印象に残っているのは、破壊された4号炉を冒頭写真のような「石棺」と呼ばれるコンクリート構造物で封じ込めるという対応がなされたことです。

当時の私には「石棺」という言葉の「響き」と「史上最悪の原子力事故」というイメージとが共鳴して、得体のしれないとても恐ろしいものに感じられて仕方ありませんでした。

また、驚くべきことは、事故後止まっていた3つの原子炉ですぐに復旧作業が進められたことです。実際に、1号炉は1986年9月、2号炉は11月、3号炉は1987年12月には運転を再開されました。

その後、1991年に火災が発生し炉が修復不能なレベルまで損傷したことから2号炉を、1996年にIAEAとの取り引きによって1号炉を、そして最終的に2000年になってようやく3号炉のスイッチを切り、全プラントの運転停止が実現しました。

とはいえ、当然のことながら4号炉の石棺にも老朽化が進み、放射性物質が漏れる恐れがあるため、2016年にその石棺ごと鋼鉄製のシェルターで覆ってしまうというプロジェクトが実行に移されました。

総工費15億ユーロ(約1830億円)をかけたこの巨大な鋼鉄製のシェルターは、高さ108メートル、幅257メートル、奥行き162メートルで、100年間に渡り放射性物質の飛散を防げるとのことです。

これがシェルター設置の様子です。

お恥ずかしながら、私は今までチェルノブイリは時折報道される「廃墟」の映像から「死の街」として完全に見捨てられたものとばかり思っていましたが、実際には事故直後からの半径30キロ以内立入制限が2010年には撤廃されており、コロナ禍前の2019年には訪問者数が10万人を数える様な一大観光地となっていたようです。

このようにチェルノブイリ原子力発電所の歴史を振り返ってみると、人類の愚かさを危うさを確認せざるを得ないのですが、その同じ人類は時に偉大でもあるとも感じてしまいました。

 

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