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教養としてのラテン語の授業

2023年7月23日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

以前に日本人と英語ブログにて、「洋画タイトルの不思議」という記事を書いて、言語の理解には、言語の知識だけではなく、その言語の背景にある文化的な「文脈」の理解が必要だということで、その一つの要素として「聖書(キリスト教)」の知識の重要性について確認しました。

この「聖書」と同様、いやそれ以上に英語の背景にある文化的な「文脈」として重要な要素に「ラテン語」があることを知っている英語学習者は少なくないと思います。

それは私たち日本人が、日本語の背景にある中国語(漢文)との対比によって、「ラテン語」それ自体の理解がなくとも体感的にその重要性を理解することができるからかもしれません。

今回は、私たち日本人がそれでもなんとか「ラテン語」それ自体の理解を手っ取り早く手にすることができるかもしれない一冊をご紹介したいと思います。

タイトルは「教養としてのラテン語の授業」です。

著者のハン・ドイル氏は韓国人初、いや東アジア人初のロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士であり、本書は彼が韓国の西江(ソガン)大学の「ラテン語講座」を担当していた時の内容を書き起こしたものです。

その内容は、単にラテン語そのものを教える外国語講座にとどまらず、ラテン語を母語とする言語を使用している国々の歴史、文化、法律などに焦点を当て、ラテン語を通じて見える世界の面白さを伝える非常に刺激的なものであり、実際に西江大学の学生のみならず、その教授、他大学の学生、一般人までがこぞって受講する大人気講座となっていたようです。

そんな講義のエッセンスをまとめた本書は、冒頭で述べた、英語の背景にある文化的な「文脈」としての「ラテン語」をその言語をほとんど知らない私たち日本人が最初のステップとして学ぶ教材としては最良のものだと思いました。

私が本書を読む前から「ラテン語」に対して最も大きな好奇心を抱いていたのは、この言葉が現在、「生活言語」としては死語となっている点から、「発音」がどのようになされているのかという点でした。

その点本書には以下のような指摘がありましたので引用します。

「ラテン語の読み方は大きく二つに分けられます。まず一つ目は、『ローマ式発音(またはスコラ発音)』と呼ばれる方式です。これは4~5世紀にはじまり、中世の時代を経てローマカトリック教会が用いてきた方式で、変化と発展を繰り返しながら、今日イタリアの中学・高等学校で一般的に使用されているものです。その歴史から『教会発音』と呼ぶ人もいますが、正式名称は『学校発音』『ラテン語法』と言います。これは中高生に『教授するための教材』の意味合いが強いものです。二つ目の発音は『古典式発音(または復元発音)』という、古典的な文献をもとにルネサンス時代に復元した発音です。この発音はルネサンス時代を代表する人文学者エラスムスが著した『正しいラテン語及びギリシャ語の発音に関する問答』に端を発しています。しかし、文献の著者がいつの時代、どこの地域の人物なのかによっても結果が異なる上、何より母音の発音の長短を復元することが事実上不可能なのです。もちろんこの二つの発音方式はどちらが正しいというものでもありません。今日、ラテン学会では古典式発音が主流ですが、法学のラテン語ではローマ式発音が優勢です。国際学術大会でラテン語の発音を聞いてみると、英米独系の学者たちは古典式、イタリア・スペイン系の学者たちはローマ式を使っていますが、お互いの話はきちんと聞き取れています。このように異なった発音を採用している背景には、歴史的、文化的なプライドが下敷きになっています。」

実際にどのような違いがあるかということを「Cicero」と「Caesar」という二つの名前で確認してみます。

「Cicero」は古典式発音では「キケロ」、ローマ式発音では「チチェロ」、「Caesar」は古典式発音では「カエサル」、ローマ式発音では「ケサル」となります。

つまり、私たち日本人は古典式発音を採用しているということです。

ところで、最後の「このように異なった発音を採用している背景には、歴史的、文化的なプライドが下敷きになっています。」というのはいったいどういう意味でしょう?

早くからローマに支配され、ギリシャ・ローマに始まるヨーロッパ文化を脈々と継承してきたスペイン・イタリア・フランスなどのラテン系の人々はイギリスやドイツなどローマに征服されていない国に住む人々を「野蛮人」呼ばわりしてきました。

しかし、ローマが崩壊したことでラテン語を生活言語として使用する国はなくなった後は、カトリック教会がラテン語を「教会の公用語」として使用し続けることになります。

その間、カトリック教会による純粋なキリスト教支配のもと、古代ローマ・ギリシアの技術や文化の破壊が行われ、文化的発展が見込めない停滞した時代が中世まで続きます。

それを覆したのが14世紀のイタリアで起こったルネッサンスで、古代ローマ・ギリシアの技術や文化の「再生(ルネッサンス)」が興り、西洋文明が世界を席巻するようになり、それが大航海時代につながっていきました。

ここまでは、先述したようにラテン系の人々がゲルマン系の人々を見下す状況は続いてきたのですが、大航海時代を切り開いたラテン系の国々から遅れること1世紀の17世紀にイギリスも世界戦略に乗り出し、最終的に18世紀後半に産業革命を成し遂げたことで経済・文化両面で覇権国となりました。

ラテン系の人々の主張としては、自分たちの文化はその歴史の流れの中にあるという自負心があるため、「ローマ式発音」を採用するのに対して、現時点でヨーロッパの主導権を握っているとの自負があるゲルマン系の立場からしてみれば、ラテン系の人々との差別化を図るために「古代ギリシャやローマの原文明こそが自分たちの根源である」として、「古典式発音」に固執するということのようです。

それぞれの時代時代で世界言語として覇権を、スペイン語が握ろうが、フランス語が握ろうが、はたまた英語が握ろうが、常にヨーロッパ文明の根底に厳然として鎮座しているのは「ラテン語」だということは間違いないようです。

それは、日本人が中国に対してどのような感情を抱こうとも、日本語、日本文化から中国語(漢文)、中国文化の存在を排除することなど絶対にできないのと同じだということが以前にも増して深く理解できました。

 

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