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本の運命

2019年5月22日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

私は自分のことを「本好き」だと自認してきましたが、今後はそんなこと恥ずかしくてとても言えないと思わざるを得ないほどの本との出会いを経験をしてしまいました。

その本とは、井上ひさし氏の「本の運命」です。

井上ひさし氏は、NHKの子供向けテレビ番組「ひょっこりひょうたん島」や小説「吉里吉里人」など作家として非常に有名ですが、本収集家としても有名です。

私が「本好き」であるなどと口が裂けても言えないなと思うに至った最もわかりやすいエピソードとして「彼の自宅の床が本の重みで抜けてしまった」というものがあります。

その蔵書なんと、13万冊!

それ以外にも、古本屋でほんのタッチの差で先に買われてしまったシリーズを、先に買ってしまった大学教授に対してしつこく迫ってようやく譲ってもらうなど、欲しいと思った本には「執念」をもってどこまでも追いかける様子がよくわかるエピソードがこれでもかというぐらいに書かれています。

また、私たちが本とどのように付き合うべきかという視点からも非常に重要なことが書かれています。

その一つに日本の学校教育において当たり前のように行われている「読書感想文」の強制に対する以下のような批判があります。

「先生に、『本を読め』と言われて仕方なく読むだけならまだしも、次に必ず感想文を強制される。しかも大人が『この本はこう読むべきだ』ということを書かないと、いい点をもらえない。例えば、『悪人が人を殺すところが迫力があった』なんて書いたら怒られてしまうわけです。本の中ではどんなお話であってもかまわない。大人は現に、すごい悪人が何人も人を殺すような本を喜んで読んでいるわけでしょう。」

その通りだと思いました。なぜ、大人はよくて子供はだめなのか。そして、彼らにそのような紋切り型の考えを強制するのか。

これなどは、子供の創造性を極端に狭める非常につまらない教育のように思えて仕方ありません。

このような日本の教育に対して著者は次のような提案をしています。

「僕はいっそのこと読書感想文というのはやめてしまって、読んだ本の『要約』を書かせるようにしたらどうかと思っているのです。『どんなお話だったかを作文用紙一枚にまとめなさい』ということにする。日本では小学生にむやみに感想を書かせようとする。自分が何を感じたか、つまり頭の中の感情や情緒を文章で表現するのはとても難しい。つまりこれは書評を書くのと同じです。これは大人の私たちにも難しいことです。ならば、感想ではなくて、『何が見えるのか』『何が書いてあるのか』という自分が観察したことをそのまま他人に報告することを小学校や中学校では行えばいい。」

この指摘には大きな衝撃を受けました。

私が常日頃うっすらと考えていたことを非常に具体的に解決策として提示されていたからです。

日本人の多くは、高校まで国語を学ぶわけですが、日本語文法をきちんと整理して日本語を使おうとする癖がついていません。

主語、動詞、形容詞、副詞、、、、これらのそれぞれの役割などを体系的に理解をせずに、何となく「感想文」の類をむやみやたらに書かされて、何となく成績が付けられてきたというのが一般的です。

国語の成績を伸ばすための学習の仕方というものを学校で教わっていないのです。

このことは、日本語という日本人の思考のレベルを規定してしまうことになるので、非常にもったいないことだと理解しなければなりません。

そして、それは日本人が外国語を学ぶときの足かせになっていると強く思います。

大人でもできないような本来非常にレベルの高い問題を提示するだけで、それを解決するために必要な手法を誰も提示してくれないので、国語の時間というのは、何となく過ぎてしまう時間だったように記憶している人は多いと思います。

そうではなく、多くの生徒が到達可能な現実的なレベルの問題設定をして、それに対する適切な解決方法をきっちりと教えて、検証可能性も備えることを徹底するべきなのです。

言葉の本来的な役割をきちんと意識させ、その言葉を使ってこの世の中を効率的に生きていくためのトレーニングを学校教育が提供できれば、この国の力は高まるし、同時に幸せな国になることができるはずです。

残念ながら、それがこの国では最も重要な教育である国語教育の範疇では行われていないという現実に対して、著者は非常に具体的なアイデアを提供してくれていると思いました。

 

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