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言語の本質

2024年3月19日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回ご紹介した「繁栄~明日を切り開くための人類10万年史~」では、私たち現生人類の歴史の中で10万年前に獲得した「物々交換」と「おしゃべり」によって爆発的な繁栄へとつながったことを学びました。

そうなると「おしゃべり」すなわち「言語」、そしてその起源を含めた本質の部分についての好奇心が俄然湧いてきました。

そこで見つけたのが以前にもその著書をご紹介した慶応大学の今井むつみ先生と名古屋大学の秋田善美先生の共著「言語の本質」です。

「言語の起源」について研究するのは、それが10万年前のことであり記録や文献など何もないため、非常に困難だということは簡単に想像できることですが、本書の説明はそれでもかなりの説得力を持っており、読み物としての非常に面白いものでした。

本書においてお二人が「言語の起源」を考えるのに重要視しているのが「オノマトペ」です。

「オノマトペ」そのものについては以前にこのブログで取り上げましたのでこちらをご参照ください。

以下に、なぜこの「オノマトペ」が言語の起源を考える上で重要な役割を果たすのかについて著者の内容をできるだけ簡潔にまとめたいと思います。

そもそも、「オノマトペ」は言語学の分野ではほとんど重要視されておらず、子供の「言葉遊び」の類ぐらいにしか扱われていませんでしたが、AI開発が盛んになったことで重要視され始めたといいます。

それは、AI開発上の課題として「記号接地問題」が取りざたされるようになったからです。

つまり、AIに言葉を理解させようとした時、AIが計算機である以上、「A=B」という計算式を積み上げることで理解させるしかないのですが、それでAIが言葉を理解したと言えるのかどうかという問題です。

これは、認知科学者のスティーブン・ハルナッドの次のような指摘によって提起されたものです。

「言語という記号体系が意味を持つためには『基本的な一群の言葉』の意味がどこかで『感覚と接地』していなければならない。」

したがって、人間と違って身体を持たないAIは本当の意味では言葉を理解できるようにはならないのではないかと。

しかしながら、そもそも言語というのは、巨大な記号の体系(システム)であって、非常に「デジタル」なもので、人間の身体性とは無関係なものというのがこの指摘以前の定説でした。

この定説の根拠として、言語として成立するためには以下の10要素が必要だとずっと言われてきました。

①コミュニケーション機能:これは当然のことですが、同じように音声を使った口笛や咳払いは誰かが聞くことを想定しておらず非言語的と言えます。

②意味性:これも当然ですが、音声が特定の意味と明確に結びついているということです。

③超越性:イマ・ココの事象に縛られず時空を超えて伝達が可能ということ。他の動物の鳴き声はイマ・ココでのみのコミュニケーションでしかありません。

④継承性:文化的に伝達が可能(母語の学習の可能性)ということ。赤ん坊が泣き声を発することができますが、これは文化とは無関係に生物学的に可能なので非言語的です。

⑤習得可能性:継承性は母語の習得に限定されたものですが、こちらは母語以外の外国語の習得の可能性を意味しています。

⑥生産性:組合せによって発話の可能性が無限大となることを意味しています。それによって新たなオノマトペを発明することも可能です。(「モフモフ」は2000年代に誕生)

⑦経済性:できる限り単純な形式であること。それは、一つの単語に複数の意味を持たせる多義性を含みます。

⑧離散性:物理的にはグラデーションの関係にあるそれぞれの対象を明確に区別する性質のこと。例えば色では青と緑を分けて便宜的に使用します。このことをもって「デジタル」的だと言います。

⑨恣意性:その形式と意味の関係に必然性がないこと。その結果、各言語で異なる語彙が存在していると言います。

⑩二重性:音の一つ一つは意味を持たないけれど、その無意味な部品から有意味な全体が作られること。

この10要素に照らして考えると、言語は非常に記号的で抽象的(デジタル)なもので、基本的に「感覚と接地」する必要がないものであると考えられてきました。

その意味で「記号接地問題」は非常に大きなパラダイムシフト的問題提起だったわけですが、逆に言えばある言語の全てが「感覚と接地」する必要はなく、しかもそれは、「基本的な一群の言葉」であればよいとも言えます。

そもそも、従来の言語学の常識としては「オノマトペ」はこの10要素のうち⑨恣意性と⑩二重性に該当しないということで、ずっと「言語」とは言えないとされてきたのですが、この「記号接地問題」と絡めて考えると、このオノマトペこそが「言語の起源」として重要視するべきものと捉えられるというのが二人の著者の見立てです。

その上で、二人の著者は決定的な証拠を突きつけます。

それは、「叩く」「吹く」「吸う」「働く」などの動詞は、もともと「タッタッ」「フー」「スー」「ハタハタ」というオノマトペから生じて一般語彙に進化したものだという事実です。

このことを前提にすれば、もし「オノマトペ」が言語ではないとしてしまうと、一般言語自体も⑨恣意性と⑩二重性に該当しないということになりかねず、非常に大きな矛盾を生じさせてしまうことになってしまいます。

それよりなにより、この考え方は、10万年前の人類が初めて「おしゃべり」をしたときのことを想像したときの私たちの感覚ともかなり親和的だと思うのですが、いかがでしょうか。

 

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