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高学歴難民

2023年12月18日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

少し前に「低学歴ニッポン」という書籍を紹介して、日本社会がマスター(修士)やドクター(博士)を評価しない低学歴社会であることが、従来の工業社会ではプラスに働いていた一方で、富の源泉がモノから情報や先端技術に移った現代の情報化社会においては、決定的なマイナス要因となることを学びました。

ただ、それでも日本においてはそこに危機感を感じておらず、この「低学歴社会ニッポン」を変える大きな動きは起こっていません。

いや、そのような変化が起こらないばかりか、むしろこのような社会において少数派である「高学歴者」が大きく割を食っている実態が垣間見られるようなニュースが増えてきたような気がします。

そんな中で目についたのが本書「高学歴難民」です。

「高学歴難民」とは、「高学歴」を有しているのに社会的に報われない状態に置かれている人のことを言います。

本書の著者はこれまで100人以上の低学歴社会ニッポンにおいて割を食ってきた高学歴難民から相談を受け、就労支援をしてきたNPOの代表 阿部恭子氏です。

その内容は、「割を食ってきた」という言葉では到底表現できないほどの状況にある高学歴難民の実態に迫るものです。

実際に読んでみると、その実態がニュースから垣間見られるのとは比べ物にならないほどに悲惨なものであることが分かりました。

そこから理解できるのは、高学歴難民の問題が、本人のプライドと実際の「高学歴」に対する社会の評価が全くかみ合っていないことによる「絶望」によって、ルサンチマン(恨みと妬み)がこれでもかというくらいに増幅され、それによって社会的不適合や犯罪にまで発展してしまうことにあるということでした。

確かに彼らの多くはそのルサンチマンがもとで「社会不適合者」との烙印を押されても仕方がない性格の持ち主であることがほとんどです。

もし、日本社会がこれからも従来の工業社会を維持できるのであれば、そんな彼らを「高学歴」という世の中から求められていない無用の長物を獲得するために無駄な時間と労力を費やした「愚かな人」として断罪するだけで済んだかもしれません。

しかし、本書を読んで私は、実際には日本はとっくに情報化社会になってしまっているのに我々のメンタリティがいつまでも工業社会のそれにとどまっているために、マスター(修士)やドクター(博士)を評価しない低学歴社会であり続けているだけだと気づくことができました。

本書には次のような印象的な言及がありました。

「佐川氏(歴史的猟奇殺人事件「パリ人肉事件」の犯人)が事件前に作家や研究者という肩書を有していたならば、社会的評価も変わり、内に秘められた異常性は封印されたまま、現実になることはなかったかもしれません。高学歴難民の苦しみの根源は、社会的な役割がないことです。多くの事件に接すれば接するほど、社会的な身分の獲得は犯行の歯止めになりうると痛感しています。」

つまり、そんな彼らを生み出したのは誰か、卵が先が鶏が先かの議論のように思えてくるのです。

そして、その議論を突き詰めていくと、彼らをいつまでも「愚かな人」として断罪し続ける私たち日本人こそが「愚かな人」として断罪されるべきなのではないかとも思うようになりました。

日本の国際競争力が急激に下がっているのを食い止めるためにはまず、日本人のメンタリティーを工業社会のそれから情報化社会のそれに変え、すぐにでもマスター(修士)やドクター(博士)を高く評価し、それを実際の競争力向上に結び付ける政策を断行することしかないと考えます。

高校の無償化や大学の無償化も大切かもしれませんが、お金を使わずともできる現状打破に目を瞑ってのそれらは、優先順位は違うように思います。

二冊連続で日本の危機感の欠如をまざまざと見せつけられることになりました。

 

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