小学校英語問題のはじまり
2020年7月3日 CATEGORY - 日本人と英語
今回より書籍紹介ブログにてご紹介した「小学校英語のジレンマ」からテーマをいただいて議論をしていきたいと思います。
第一回目のテーマは、「小学校英語問題のはじまり」です。
本書で著者は、「小学校英語」が制度化されるまでの構想期間を含めた公的なプロセスを全部で4つに分けそれらの行われた年代を明らかにしています。
「第一期:政策的に無の時代(~1990年代初期まで)」
「第二期:実験の時代(1990年代初期~後期)」
「第三期:総合学習の時代(1990年代中頃~2010年まで)」
「第四期:必修外国語活動の時代(2000年代中頃~2020年まで)」
「第五期:高学年教科化の時代(2010年代中頃~施行は2020年)」
これを見ると、「小学校英語」が構想も含めて公的に議論されるようになったのは、1990年代初期であり意外に新しいようにも感じられますが、これはあくまで「公的に」ということであって、初等教育に英語を取り入れる云々の話は実は、戦前から上がっていたようです。
つまり、歴史をさかのぼればその時にはすでに、「小学校英語問題のはじまり」があったということにもなります。
著者は、英語教育の第一人者であった岡倉由三郎(思想家岡倉天心の実弟)がその反対論者の一人として発した次のような主張を、その原始的な問題提起として本書の中で引用しています。
「普通教育の目的は、国民として立つに必要なる知識技能を授けることであることは、今更言うまでもないが、その立場から見れば、修身、国語、算術、歴史等が最も必要なので、これらの主要学科すら、なお目的通りにいっておらぬようにも思われる。従って、現在の小学校各教科目と、これに与えられたる時間とは実に貴重なものである。然るに英語科のごとき目下の様から見て比較的不急なものを加え、時間と労力とをこれに割くは、甚だ愚かなことで、かえってこれがために、国民教育の主要方面が薄弱に陥るところがある。」
まさに、「小学校英語問題のはじまり」というべき、この問題の根本についてなされた非常に鋭い指摘です。
前回の書籍紹介ブログにおいてもみたように、この問題は非常に複雑なので、問題を一つに絞ることはできないし、すべきではないという著者の意見に賛成です。
しかしながら、私が「反対」の立場でものをいう時の最も重要な視点というのは、まさにこの
「英語科のごとき目下の様から見て比較的不急なものを加え、時間と労力とをこれに割くは、甚だ愚かなことで、かえってこれがために、国民教育の主要方面が薄弱に陥る」
ということにあります。
岡倉の指摘から100年以上の月日が流れた今、英語という科目が、国語や算数、社会などと同列の「主要方面」と評価するべきものなのかどうかという点が「制度化」の是非に関して最も重要な要素となるべきなのです。
私は、決して今でも国語や算数、社会などと同列でないし、今でも岡倉由三郎が言うように、「これらの主要学科すら、なお目的通りにいっておらぬ」と思っています。