日本人と英語

袋小路の小学校英語

2020年7月15日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「小学校英語のジレンマ」からテーマをいただいて議論をしてきましたが、第六回目の今回が最終回です。

最終回の今回は、前回まで見てきた「小学校英語問題」の最終評価をしてみたいと思います。

私が本書を読んでまず感じたことは、本書のタイトルの通り、「小学校英語」はジレンマに直面しているということです。

それがどのようなジレンマなのか、本書の指摘部分を以下に引用します。

「小学校英語を取り巻く条件は深刻かつ重大なものばかりであり、しかも、それらが相互に絡み合い、袋小路に陥っている。小学校教員は現場で日本の英語教育の屋台骨を支えるべく子供と向き合うが、教育環境は一向に改善されない。文科省や教育委員会も条件整備のために奮闘するが、財務担当者は金庫の扉を固く閉ざしている。ならば、いっそのこと英語はやめてしまえばみな楽になると思えてくるが、すでに政府によって小学校英語推進という枠をはめられてしまっている以上、それは不可能である。確実に言えるのは、あらゆる立場の人々が満足する完璧な解決策はないということである。どんなにバラ色に見えるプランであっても実際には大きな問題を抱えているし、どんなに無難に見えるプランであっても何らかの犠牲(しかもかなり大きな犠牲)を払うことになる。そうした犠牲・コスト・デメリットの存在を議論の大前提に据えながら、多くの人々にとって納得がいく政策を選び取っていかなければならないのが、小学校英語の未来である。」

まさに、「小学校英語」はジレンマ、袋小路にハマってしまっている状況を非常に分かりやすくまとめられています。

私のようなこの問題に対して自由な立場の人間が言うことはかなり憚れるのですが、でも敢えて言います。

「小学校英語導入」の根拠が「グローバル化への対応の必要性」であればこそ、

「小学校英語よりもはるかにコストパフォーマンスが良いのが、グローバルビジネスや国際交渉の前線に立つ人の英語力を向上させる施策である。一種の企業内教育・職業訓練である。これらに比べると学校教育での枠組みはコストパフォーマンスがよくない。必要性が定かではない学習者や動機付けが弱い学習者も含まれるからである。」

と私が第四回の記事にて指摘したように、その解決方法として「小学校英語」を選択することは本来絶対にあってはいけないことでした。

なぜならば、犠牲を払うのは最も守られなければならない「児童」と現場で奮闘する「教員」の皆さんだからです。

そのことを思うと、本書にまとめられた現状は、私には「行くも地獄、戻るも地獄」とどうしても映ってしまいました。

 

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